忍者ブログ
バイクや歩きで野宿旅、城めぐり                                                                              旅のためのアウトドア用品の購入やインプレッション                                                               ウエイトトレーニングで大きく健康的な体に!                                                                                  脂肪だけ落とせる理論的なダイエット!とその実践                                                          自作PCやソフト、ネット上の話題                                                                                                                              などの趣味が中心のブログです。                                                                    読んでくれる皆が、初めて知る事を書いていきたい。
[387]  [386]  [385]  [384]  [383]  [382]  [381]  [380]  [379]  [378]  [377
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

今日もバイオで更新、打ちづらさに慣れるには、反復練習しかないのである。
本日のお題は題名の通りだ、いつも言ってる事だけどね。

この間の旅の間にもよく思考にのぼったんだが、モノには能動と受動の二種がある。
俺が思ったのは、能動的な趣味の方が面白いという事だ。
歩き旅をしていると、何でこんなにつらい思いをしなければいけないんだろう、と思うことが多々ある。
趣味のはずが、一種苦行になっているんだな。
そりゃ止めればいいんだけど、そういう訳にもいかんのは他の事じゃ満足できなくなっているからだ。

最近まで旅とはバイク旅だった、実はこのバイク旅とはとても受動的な旅である。
バイク旅をした事のある人なら判ると思うが、実は右手をひねるだけの気楽な毎日である。
ほとんど動かないから、体がなまる程である。
これは車の旅でもそうだし、修学旅行しか団体旅行に行った事のない主観だが、パックツアーなんかもそうだろう。
自分の働き以外でまかなえる部分が多くなるほど、受動的な旅といえる。

他の趣味でもそれは同じ。
ヲタと呼ばれる人間の中にもさまざまな嗜好の持ち主がいるが、ほとんどが受動的オタクだろう。
同人誌を作ったり、コスプレをするような人間よりは、消費をするだけの人間の方が圧倒的に多いはずだ。
俺が自分をオタクではないと思うのは、この面ではとても受動的な人間だからだ。
毎日アニメを見るくらいで、自分から何かを生み出す行動はしない、あくまでオタク文化の消費者でしかないんだ。
この消費者文化というのが、実は受動的な現日本の基本にあると思う。

日本では律令制の時点で、貴族は労働をするものではないという概念が生まれたように思う。
恋を語らうような男は筋骨隆々の汚い労働者ではなく、肉体的に弱々しげでないといけないという文化である。
この思想が根底に流れている事も、日本男子のマッチョ嫌いの一因のよう思える。
その頃から高貴な人間とは不労所得を得ることのできる身分にいる者、という概念がある。
これは3K労働者への蔑みとして現在も続いている。
そしてこの底流にあった感覚が、こないだまでのバブル時代で、現代日本人の特性として完全に定着したと思う。
金を出すこと、モノを買うことで自身の欲を満たすことこそが、全てにおいて優先されるようになった。

商品・サービスとは受け手でないと享受できないものである、という概念が消費社会の根底にある。
人々は必死になってサービスを受けたがるのである。
これこそ受動的人間の本質で、射幸心という人間の最も醜い本性につながるものだと思える。
原因としてはキリスト教のように、他者への愛を説く宗教が無かった事などイロイロあるだろうが、こういった行動規範の無い社会で育ってしまった事が、彼らの受動的な性質を形作った事は間違いないだろう。

自ら動き手にする事ではなく、手にした喜びしか見えなくなっているから、言われたままにまじめに仕事をしていれば、いい人間になれると勘違いするのだ。
確かに言われるがままに耐えれば昇進もさせてもらえるし、安定した収入もあてにできる。
それを生涯の誇りや美徳とするようになってしまっているのは、それが得だからだけでなく、非常に楽だからでもあるんだ。
金さえあればいい人間からすれば、趣味や生き様などは目に入らない。
なんで真面目に仕事をしないで旅なんかしたいの?と彼らは言うが、なんでそんな金にならない無意味な事をするの?と言いたいのだろう。
社会とか規律などまともな事を言う奴ほど、お手軽な自己顕示欲しか無い。

女が欲を満たすだけの大金を稼ぐという、とてつもなく能動的な作業を回避するためには、金持ちの男が必要である。
ゆえにセレブという概念が生まれた訳だし、それを遠望してきた未成年の女がそれを望むようになった。
男は金、これほど的を得た言葉はない。
ここで女を責めている訳ではないのは、女とは元々受動的な生き物だという事だ。
日本では社会的にもそういう育てられ方をしてきているし、生態機能として性行為を捉えても非常に受動的に出来ている。
歴史的な偉人に女が少ないというのは、能動的な行動を起こしにくいということも一因だろう。

男といえばどうだろう。
若い男はファッションに金をかけるが、中身の肉体はグズグズでも頓着しない。
金持ちのオッサンがする事といえば、車や宝飾品・女と酒に金をかけ、体をまったく使わないゴルフというスポーツで満足する。
これは受動的趣味の典型で、ほとんどの日本人はこういった生活に憧れているんじゃないかな。
というかこれ以外の趣味を見つけ出せないように、丹念に規格化されてしまっている。
俺が中高年が嫌いだというのは、この受動性しか無いつまらなさからくるものでもある。
3日後にあるセミナーの合戸選手は48歳だから完全に中高年だけど、真剣にボディビルに打ち込んでいる凄い人だから、わざわざ会いに行き何かを得ようと思うんだ。
そこらの何もしていないオッサンが偉そうにふんぞり返っていても、ただのバカでしかないので完全に無視するのだ。
俺から見て能動者であるかどうかが、人間に値するかの基準なんだな。


最後に自分の趣味を能動率としてなんとなく数値化してみる。
基準値は歩き旅の100だ。

アニメ鑑賞 0
読書    0
PC作り 25
クルマ旅 30
プラモ作り 30
仕事 40
バイクいじり 40
バイク旅 50
減量   50
歩き旅 100
ウエイトトレーニング 100~
日本一週歩き旅 200以上?

数値化すると、日常では楽な事しかしないのが良くわかった。
それから減量は辛くても、トレーニングのように自ら動くものよりスコアとして低い。
能動的であり続ける方がより辛いものである。

これからも能動的な趣味を続けていきたいものだ。
でも、推定200以上の日本一週をしてしまったら、更に基準値が上がるんだよな、どこまで辛い事して遊ぶんだろ・・・。
今からとても不安である。(爆
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
リンク

出発日決定! 2010.4/12
しょうたび!
正太郎の日本一周歩き旅
http://shoutabi.web.fc2.com/index.html

ホノルル完走を目指す友達
ピヨピヨさんのブログ。
ぴよぴよランド。

カウンター
カレンダー
11 2024/12 01
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

たまには押してくだせぇ。
にほんブログ村 旅行ブログ 歩く旅へ
にほんブログ村
プロフィール
HN:
イエ・ロコン
性別:
男性
自己紹介:
誰にも気兼ねせず、自分らしく生きていたい。

shoutabi2009@live.jp
最新コメント
[12/29 うんこ]
[04/16 ^-^]
[11/25 ピヨピヨ]
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]