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俺の家はマンションの一階だ。
そのせいで上の家の炊事の水が溢れ出たりと、散々いやな目にあっている。
直上の部屋(2階)のガキは10年ほど前から家の中を走り回っていて、事あるごとにうちが被害を受けている。
その時に直談判に行った時に母親は、「まだ3つくらいの子供に言う事を聞かせられない」という返事をした。
もう10年も経つから下手すりゃ中学生のガキが、未だにカカトで音を立てて歩き、移動のたびに家の中を走り回るというのはどういうことなんだろう。
結果だけ見れば10年間も母親が育児放棄をしてきたという事になる。
子供がおかしいというのは、ひとえにしつけと教育にあると思っている。
なぜしつけが出来ない親が増えたのだろう。
俺がもの心もつかない程小さかった頃は公園でも道端でも、母親が必ずそばに居た。
それこそ親子という以外には何も存在しないほどの関係であったんだろう。
成長してから公園などで野宿したり休憩する事が多くなったが、そういう所で親子連れを見てると、近くに居る母親が我が子に全く関心を示していない事が多い。
母親同士のコミニュケートしか見えていないんだろう、つまり、自分という存在しか認識できていないという事なんだろう。
義務教育が始まる頃には母親というものの存在がかなり変わり、口うるさいだけの存在になる。
子供の頃にはそうしか思わない神経質な母親というのは、今になってみると人生の根幹を作ってくれた存在である。
では、今の親はそうじゃないんだろうか、多分そうじゃないんだろう。
俺はデジタル脳が嫌いじゃない、というかデジタルに割り切って考える事で、物事の本質に迫れると思っている。
しかし、デジタルの秤にも精度というものがある。
1か10しか判らない秤ならよっぽど非科学的な感覚の方がいい。
こういう精度とは、情報に対する本人の探究心に依存する部分である。
1と10しか知らない人間はいかに優れた頭脳を持っていても、7という数字は10に近い、くらいにしか判らないだろう。
逆を言えば1から10を知っている人から見た7というのは、6と8の間の数字と断定できる数になる。
回りくどい話をしてしまったが、主婦のデジタル精度というのはどの程度なんだろうか。
毎日同じ家事をし続けて10年を過ぎた上の階の母親はどのような秤を持っているんだろう。
子供の行く末を数日後までしか計算できないような母親じゃないかと思う。
子供を育てるのはデジタルじゃない、デジタルだとしても人の頭が考えられるくらいの精度では無い。
しかし、現代の母親というのは時間の概念をデジタルでしか捉えられないんだ、しかも相当短いスパンのデジタルである。
というのは家事を中心にした全ての生活が、物凄い勢いで簡略化されているからだ。
子供に出すメシをスーパーの惣菜で済ませる。
このときかかる時間は1時間もあればいい、これが今の母親のデジタル精度である。
俺がガキだった20年前の母親達は、毎日のメシをローテーションから考えていたであろう、今週の初めはカレーだったから週末は和風の煮物かしら、と考える時間自体が数日単位でかかる。
更に材料の下ごしらえから盛り付け、家族が揃っての食卓まで昔の家族には規律があった。
こういった過程を踏まえて子供の成長には時間がかかるという認識が生まれるんだけど、今はレンジに入れてボタンを押せば終わり、苦労しないから新しい事も得ようとしないし、新しい商品はTVなどのマスメディアで自動的に目の前に並べられる。
暇になった主婦友達同士では、彼女らのこれまでの人生と同じように仲間意識をはぐくむだけの為の、ファミレスでの母親会や公園でのスキンシップが重要視されてくる。
そこは彼女らがこれまでしてきた陰口・噂を共有するスペースでしかない。
同じ年代の子供を持った同じ程度の脳みその女同士だから、より良い母親像を見る事も無い。
現代の素晴らしい母親・雑誌の中のセレブママは、モノを売る企業の広告媒体だと気づきもしないから、子供の人生よりも自分の生活が世界の中心だと思い込んでしまう。
デジタルの精度が上がれば、子供が大人になった時にその子がどれだけ素晴らしい人生を送れるか?を夢に見るようになるだろう。
そうすれば育児は彼女の20年がかりの壮大な物語になる。
しかし、情報も無く理想も無い母親の育児は、日々のスーパーでの買い物や電子レンジのボタンを押す事の繰り返しでしかなくなってしまう。
餌を与えて大きくしただけの子育てだ。
こういった無知な親がどれだけ多いか!
息子を「お前」としか呼べない、実の子にとってすら尊敬に値しない父親がどれだけ多いか!
子供を育てる根気が無ければ、しつけの一つも出来ない。
犬を躾けることと同じで子供を変えるのにも時間がかかる、一つの癖を直す為に半年一年かかるのが子供なんだ。
バタバタ歩くなと言っても聞かなければ言うとおりにするまで注意すればいい、子供の癖を直す事が目的であり、楽に家事をする事と同じように、自分が精神的に楽出来る育児をする事は目的ではない。
親が知らない事を子供が判る訳無いじゃないか。
大人はもっと広範な知識を獲得していかなきゃいけない。
大前提として今子供を育てている自分がどういう親なのか知らなきゃな。
そのせいで上の家の炊事の水が溢れ出たりと、散々いやな目にあっている。
直上の部屋(2階)のガキは10年ほど前から家の中を走り回っていて、事あるごとにうちが被害を受けている。
その時に直談判に行った時に母親は、「まだ3つくらいの子供に言う事を聞かせられない」という返事をした。
もう10年も経つから下手すりゃ中学生のガキが、未だにカカトで音を立てて歩き、移動のたびに家の中を走り回るというのはどういうことなんだろう。
結果だけ見れば10年間も母親が育児放棄をしてきたという事になる。
子供がおかしいというのは、ひとえにしつけと教育にあると思っている。
なぜしつけが出来ない親が増えたのだろう。
俺がもの心もつかない程小さかった頃は公園でも道端でも、母親が必ずそばに居た。
それこそ親子という以外には何も存在しないほどの関係であったんだろう。
成長してから公園などで野宿したり休憩する事が多くなったが、そういう所で親子連れを見てると、近くに居る母親が我が子に全く関心を示していない事が多い。
母親同士のコミニュケートしか見えていないんだろう、つまり、自分という存在しか認識できていないという事なんだろう。
義務教育が始まる頃には母親というものの存在がかなり変わり、口うるさいだけの存在になる。
子供の頃にはそうしか思わない神経質な母親というのは、今になってみると人生の根幹を作ってくれた存在である。
では、今の親はそうじゃないんだろうか、多分そうじゃないんだろう。
俺はデジタル脳が嫌いじゃない、というかデジタルに割り切って考える事で、物事の本質に迫れると思っている。
しかし、デジタルの秤にも精度というものがある。
1か10しか判らない秤ならよっぽど非科学的な感覚の方がいい。
こういう精度とは、情報に対する本人の探究心に依存する部分である。
1と10しか知らない人間はいかに優れた頭脳を持っていても、7という数字は10に近い、くらいにしか判らないだろう。
逆を言えば1から10を知っている人から見た7というのは、6と8の間の数字と断定できる数になる。
回りくどい話をしてしまったが、主婦のデジタル精度というのはどの程度なんだろうか。
毎日同じ家事をし続けて10年を過ぎた上の階の母親はどのような秤を持っているんだろう。
子供の行く末を数日後までしか計算できないような母親じゃないかと思う。
子供を育てるのはデジタルじゃない、デジタルだとしても人の頭が考えられるくらいの精度では無い。
しかし、現代の母親というのは時間の概念をデジタルでしか捉えられないんだ、しかも相当短いスパンのデジタルである。
というのは家事を中心にした全ての生活が、物凄い勢いで簡略化されているからだ。
子供に出すメシをスーパーの惣菜で済ませる。
このときかかる時間は1時間もあればいい、これが今の母親のデジタル精度である。
俺がガキだった20年前の母親達は、毎日のメシをローテーションから考えていたであろう、今週の初めはカレーだったから週末は和風の煮物かしら、と考える時間自体が数日単位でかかる。
更に材料の下ごしらえから盛り付け、家族が揃っての食卓まで昔の家族には規律があった。
こういった過程を踏まえて子供の成長には時間がかかるという認識が生まれるんだけど、今はレンジに入れてボタンを押せば終わり、苦労しないから新しい事も得ようとしないし、新しい商品はTVなどのマスメディアで自動的に目の前に並べられる。
暇になった主婦友達同士では、彼女らのこれまでの人生と同じように仲間意識をはぐくむだけの為の、ファミレスでの母親会や公園でのスキンシップが重要視されてくる。
そこは彼女らがこれまでしてきた陰口・噂を共有するスペースでしかない。
同じ年代の子供を持った同じ程度の脳みその女同士だから、より良い母親像を見る事も無い。
現代の素晴らしい母親・雑誌の中のセレブママは、モノを売る企業の広告媒体だと気づきもしないから、子供の人生よりも自分の生活が世界の中心だと思い込んでしまう。
デジタルの精度が上がれば、子供が大人になった時にその子がどれだけ素晴らしい人生を送れるか?を夢に見るようになるだろう。
そうすれば育児は彼女の20年がかりの壮大な物語になる。
しかし、情報も無く理想も無い母親の育児は、日々のスーパーでの買い物や電子レンジのボタンを押す事の繰り返しでしかなくなってしまう。
餌を与えて大きくしただけの子育てだ。
こういった無知な親がどれだけ多いか!
息子を「お前」としか呼べない、実の子にとってすら尊敬に値しない父親がどれだけ多いか!
子供を育てる根気が無ければ、しつけの一つも出来ない。
犬を躾けることと同じで子供を変えるのにも時間がかかる、一つの癖を直す為に半年一年かかるのが子供なんだ。
バタバタ歩くなと言っても聞かなければ言うとおりにするまで注意すればいい、子供の癖を直す事が目的であり、楽に家事をする事と同じように、自分が精神的に楽出来る育児をする事は目的ではない。
親が知らない事を子供が判る訳無いじゃないか。
大人はもっと広範な知識を獲得していかなきゃいけない。
大前提として今子供を育てている自分がどういう親なのか知らなきゃな。
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