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今日、職場で読了した本多勝一さんの「日本語の作文技術」を読んで文筆欲が湧いて長文を書いてみたんけど、完全に技術不足・認識不足で空回りしてしまった。
情けない事だが文筆欲は収まらない。
もっと判りやすく、自分の思ってることがきちんと伝わるような文章を書きたい。
こんな調子でしばらく駄文が続くので、読んでて恥ずかしくなってきたらしばらく来ない方がいいだろう。
だって、書いてる本人が赤面するくらいだからな。(自爆
昨日の記事は広範のネタを詰め込みすぎたので、何を主に書いているのか判りにくかったので、その中の主題の一つの「仕事誇り」の原因を書いてみようと思う。
昨日はカネのために働くなら精神は必要ないと書いた。
これには反論が多いだろう、なぜなら働く事は辛い事であり、楽しくもやりがいもある事でもあるからだ。
社会貢献をしていると思う事もあるから、自分の居場所としては非常に居心地がいい。
しかし、仕事とは何なんだろう。
近代つまり明治以前の日本の場合、一番多いのが農民であった。
農民は自分が食べる為に畑を耕す。
それによって人々が飢えずに生きていけるのだから、これは立派な仕事である。
では武士はどうだろう、彼らは為政者としての地位を生まれながらに有するが、殿様のウンコの処理だけの家柄や、「武士の一分」でも出てきた毒見だけの一族なんかもいる。
彼らは政治を司り人々の生活を守る立派な職業だが、そればかりではない事がわかる。
商人は今のようなビジネスマンとは違い、税金もゆるく江戸時代には非常にボロい商売であったが、彼らが居なければ物流は止まり都市生活は成り立たなかった。
手工業者らは商人のような華々しさも無いし、武士のような大それた意識も持たないけど、農民同様に社会の根底を支える立派な仕事だ。
現代日本から昔の日本を俯瞰してみて、仕事誇りをするような人々が見えるだろうか?
皆が生きる為に何世代にもわたって同じ仕事を続ける。このような人生に誇りを持ち、俺様は農民だから偉い!俺のやってきた事は俺の人生に悔いは無い!なんて言われても、「なるほど」、ぐらいにしか思わない。
言い方は悪いが、現代人から見れば彼らは社会を構成している歯車である。
では現代日本を後世の人々が見たらどうか。
一流企業の社員だからと言っても誰の名前も知らない、俺たちが昔の殿様の名前を知らないように。
その程度の歯車を誇ってどうすんだ?
コレが一つ目の結論だ。
ここからがカネの問題な。
出家というのは仏教の仕組みの一つで、その人を死んだとみなし家族や財産や地位を捨て、俗世を離れ仏門に入る事である。
仏教とは最終的に悟りを開く事が求められるが、それにはカネは必要ないどころか邪魔な存在なんだ。
カネはなぜ悪なんだろう。
これは現代人の方がよっぽど詳しいよな、自分の浪費癖に辟易している人も多い、俺もその一人である。
俺は射幸心が無くギャンブルの類は一切した事が無い、宝くじですら買った事が無い、母親が死んだら遺産は一切要らない。
何も持たないで生きる「清貧の思想」をしている訳ではないが、潔くない美しくない生き方はしたくないと思っている。
かなりの偏屈者であるが、そんな俺ですらカネの魔力には逆らう事が出来ない。
カネの力を端的に現した言葉は、「カネで買えないものは無い」だろう。
それほどまでにカネは強い。
一流企業や高い職位、自己顕示欲などの欲は全て間接的・直接的にカネが根底にある。
後先は別として現代の全ての行為には金が絡む。
だから、カネという概念を直視しない人々は踊り続けるんだ。
勿論、カネカネとゾンビのようにうごめく訳ではなく、ちょっとした射幸心やほんの出来心が頭をもたげる。
そして人の本質である慣れにより、カネへの執着は肥大していく。
老人の金への執着を見た事があるだろうか?
あのおぞましい姿は、カネに踊らされた人生そのものである、
精神的支柱で自己を規定しなかったせいで、日に日に肥大し長い年月をかけて化け物になったのだ。
だからカネの臭いが少しでもする事を我誇りをしてはいけない。
自分を飾り優位に見せる全てがカネであるという事実。
カネを払えば済むという虚構の世界に住むべきではない、真実を見つめると自分の弱さや愚かさが見えてくる。
そこから始める人生こそ、本当の自分モノなんだよ。
昨日の続きを書く。
好き勝手に生きると言っても、そのような人は少ない。
なぜ、こうなりたいと願う気持ちは叶えられないのだろうか。
心のままにやりたい事をすればいい、というのは事の本質を知っている人にのみ判る言葉だ。
既に何かをやり結果を出した人にのみ判る。
実は心とは不安定なモノだ。
ダイエットをしていても、つい、甘いものを買って帰ってしまう。
トレーニングを続けようと思っても、つい、疲れたので今日はヤメと思ってしまう。
これが心の本性だ。
それに対比して精神というモノがある。
精神のwikiは↓だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E
これによると精神とは、認識能力・意思能力・判断能力、または、理性・悟性・知性でもあるようだ。
心というものは認識力に欠け、意思も弱く、判断も誤る事が多いというのは、皆も経験的に知っているのではないかな?
俺も20歳の頃はそういう人間だった。
自分は意志が強いとありのままの認識をせず、何かをやろうと思っても意思は続かず、それが悪い人生だという判断が出来なかった。
心というものは、鍛え学び考えることで精神となっていくものなんだ。
大事を成す者にはまず天災が降りかかる、という事をどこかで読んだ、人は苦労をして大きくなる。
何もぜずにただ生きているだけの人間では、精神性というものは一生手に入らないものなんだ。
ここでちょっと話をそらす、これは勉強と仕事の話だ。
世の中には学歴や職位を誇る人間が多い。
彼らは努力をし、勝ち抜いてその地位を得たのだろう。
しかし、仕事誇りをする人間ほど生き方が軽薄で手垢にまみれた言葉しか吐かない事が多い。
なぜ?彼らは努力をして大きな仕事もしているのに。
彼らが勉強や仕事を頑張ってきたのは、日本という社会でそれを保護しているからで、つまり彼らには自主性というものが初めから存在しないんだ。
一流大学や一流企業は偉いという概念を日本中が認めてくれるから、彼らはそれを目指し努力できたんだ。
それに仕事というものは生きていくために必要な活動でもある、必ずやらなければいけない事でもあるので、仕事というものは強い精神を必要とするものではないんだ。
誰にとっても今の日常ほど楽な世界は無い、その先を目指し変革する精神の強さが無い人間ほど現状を誇る。
職場で虐げられたり、きつい労働に従事している場合はどう?と思うが、これは金の為に働くという事実によって精神力は必要無くなる。
賃金も無しに働いている人が居るのなら、それこそ強烈な意思があると言いたいが、それも将来にその仕事を継ぐなどの見返りがある場合がほとんどだろう。
仕事誇りをする人間は、仕事によりかかり社会という後ろ盾の前で、常識と言われる定型文をキャンキャン吠えているだけ、そこには誇り高い精神は無い。
そうそう、麻生総理が一番の好例だな、アイツのいう事に中身は無く、偉くなりたいという心のままにヤクザな態度をとるだけの小人物だ。
俺たちが精神を持つには誰かからの要望をこなすだけでは不十分だ。
自分の心のままにというのは、ここの問題でしかないんだな、まず誰の物でもない生き方を決める心ありき。
しかし、心のままに生きては目的を達成する前に揺れる心はくじけ、生き方も安易な坂道を下り、人と同じか社会が必要とするモノに作り変えられてしまう。
話は戻って締めに入るんだが、何かを成すには根本に心、そして行動する為の精神が必要だとわかってくれただろうか。
では心を精神に昇華させるには何が必要なんだろう、これはテクニックだ。
誰だって毎日の日課はある、では、なぜその日課は続いているんだろ?
自分にとって必要だから?片手間でもできるから?好きだから?
じゃ、新しい事に挑戦するものは大好きで必要性のあるものじゃないと続かないよな、片手間ではできにくいのでこれは除外。
ウエイトトレーニングで体を大きくしたくてもジム通いが長続きしない、そして明晰な目的意識を持つことが出来ていないから、疲れたとか仕事が忙しいという言い訳を考えてしまう。
本当にやりたい心があるのなら問題はテクニックで簡単に片付く、仕事が忙しいのなら仕事を変えればいいし、疲れて仕方が無いのなら遊びや夜更かしをやめればいい。
精神力を発揮する以前に、実はやりたいという気持ちしか持っていないバカが多すぎる。
精神とは認識・意思・判断能力。
心のままに出来ないと思い込む前に、事実を認識して判断しなければいけない。
その上で意志の力が出てくるんだ、最近ジムに通う前に1~2時間横になるのも、疲れを少しでも取って意志の力を発揮させるためのテクニックだ。
そのテクニックを生み出す為の思考も精神の一部であるし、テクニックにより克服した経験で精神力は自信を増す、こういう+のスパイラルにより精神は鍛えられる。
今年は終わり。
2009年皆が精神の必要性を理解し、成す人となる一助となれれば嬉しい。
家でケンタを食い、氷結ストロングを呑み、ブログを更新している20代最後のクリスマスイブ。
女なら首吊って死にたくなるな。(爆
俺の周りの人間を見てて思ったことを書こうと思う。
異動してきた30代前半の彼は、スノボーをやる人らしい。
最近はランナー氏や格闘家氏など、ストイックにトレーニングに打ち込む兄さんばかりだったので、スノボー君も案外やるのかと思っていた。
案の定その思い込みはくつがえされ、数年前までチョコチョコやってただけのスノボー歴らしい。
例えば俺がそういう人間だったとすると、今出来ているトレーニングを続け、将来の夢はボディビルコンテストに出る事、という人生を送るだろう。
これは日本人に多い考え方で、今出来ることを基準にして将来を見据えるのだ。
でも俺は違う、俺にはやりたい事があるけど、それは出来ることをやる事ではない、自分が出来ない事に挑戦し、やった事の無い事をやりとげる事だ。
先週ランナー氏と話したんだけど、
「今自分が持ってるモノって興味がないよね?」
と、意見が一致した。
今の記録、今の挙上重量は既に出来ることであり、この先に得るものではないんだ。
同じように、今やってる生活は既に実践している生活なので、この先追い求める生活ではないんだ。
スノボーをやり続ける人生は、スノーボーダーという人生でしかない。
俺はソレに満足できないから、ボディビルダーにもなりたいし、歩き旅をする人や、バイクライダー、前に書いたように政治や経営もしてみたい。
実は空を飛んでみたい夢もある、なんて贅沢な漢なんだろう、でも言ったらヤル!だから・・・。w
俺は俺としての人生を歩みたいから、自分の興味のある事は全てやりつくしたいと思ってる。
しかし、その道は険しい。
一から学びモノにするには数年~数十年の年月が必要だ。
だからスノボー君はスノーボードという過去の経歴でしか趣味を語らないのだし、世の中高年は年のせいにして挑戦する事から逃げる。
だが、その人生において完全に未知の世界に飛び込んで行った事があったのか?
何かをしたいという欲望は、全てにおいて優先されるべきではないのか?
イイ体になりたい気持ちが強いのならボディビルしかない。
強くなるには格闘技しかないし、速く遠くに行くのならマラソンしかない。
職場の3人は自分の欲望を肥大させた先に自分の人生を見出した。
しかし、イイ体になりたいというデブは自分の食欲に負け。
強くなりたいと願うガリは目先の酒やタバコで自意識を満足させる。
速くなりたいと思う心はキツイトレーニングに負け、車やバイクなどの小手先で出せるスピードに満足するようになる。
全てが逃げだと判っていても、新しい苦しい事には耐えられないように出来ている。
日本人は学校で作られた人格しか持たない。
画一的で自己主義で無く、利他的でもない。
テストを受けるにはテスト範囲の勉強をしなければいけないから皆が同じ事しか学ばない、これでは世界に一人だけの個性は認識すらされない。
かといって自分が受けたい教科を選べる訳でもないから自己的ではない、与えられた運命に満足するしかない。
しかしテストを受ける際には周りとの競争をするが、そこに他人の為という概念は初めから無いので利他の思想は生まれない。
今朝の仕事場で60を越えたじい様に、
「ロコンさんは若いのに悟っているねぇ、人のこともよく見てるし。」
と言われたが、こういうのは30前の漢なら考えなければいけない問題だし、人を見て学んで自分を高める事は日常化すべき習慣だと思うんだ。
俺は学校に作られたと思ってない人間なので、自主性が高く未だに勉強し続けられてるのだろうけど。
才能や家柄などで人生は決まるものではない。
まして受けた教育や育った社会などに決められるいわれは無い。
俺たちは好きに生きるべきだ。
ただ、好きに生きる事もイロイロある。
今日は好き勝手に生きられない人を定義するだけでおしまいにする。
次回は現実問題をふまえて書いてみようと思ってる。
じゃ、また。
そう、左側にある日本一周までのカウントダウンだ。
来年の9月5日の朝に出発なので、その時までココで時を刻み続けるはずだ。
でも255日って長いよね~、と安堵する効果を生んでしまったような・・・。w
さて、今月入ってから週に3日しかジムに行けてない。
俺は3分割法なので、1部位を週に1回しかトレ出来てないんだ。
しかも毎週月曜の休みの日、この日は日曜朝に仕事が終わって、丸1日経った朝になる。
でも、その1日では疲れが全然取れて無いんだよね・・・。
脚やら腰がきしむ感じで、ちょっと痛みが残ってる、筋肉痛のようにも思えるんだけど。
ただ、午前2時ごろに起きて、西友の半額惣菜は買いにいけてるんだ、で、飯も食って準備もするけど、朝の7時に出て行く気力が出ない。
来週は今年最後の週、月火の後はジムも休みに入るので、次の週の月火までトレは休み。
今年のだらけは今年のうちに矯正しておこう。
来週は休まない。
俺はいつもどおり自分主体で、あまり社会の動きとは関係ない日々を送っておる。
さて去年と同じように、今年やった事を書き出してみよう。
・初めての歩き旅(冬・夏)
・年間を通して怪我・長期休養の無いウエイトトレーニング
・数年ぶりの車でのドライブ
・日本一周の資金を貯め始めた
・PCモニターの24インチワイド化
・出戻りで艦船プラモデラーをはじめた
うーむ、今年は行事が少なかったのう・・・。
去年の暮れに立てた目標は、耐えて地盤を固める一年だったはずなので、これでいいのだろう。
実際トレは続いてるしブログも書き続けてる、本も毎日読んでるし、着実に成長している。
さぁ、来年は旅立ちの年。
このブログもあと9ヶ月ほどでおしまい、でも来年は結構忙しいんだよなぁ。
冬と夏の旅にダイエット、ノートPCも買うし、新HPも作らなきゃ、新しい話題には事欠かないだろう。
それに最終四半期は旅の空の下だからな。
しっかし、まだまだ先の話と他人事のようにしか思えないのは、まだ知らぬ道への怯えなんだろうか。
そんな後ろ向きな事言いつつ、来年も面白おかしく暮らしていく事だけは間違いない。(笑
最後に、
今年は楽しく実りもある充実した一年でした。
何の悔いもなし!
多分つけた点数の平均値が出る仕組みだと思う。
1から5まで順番にクリックして点を付けていくと、グラフが完成する。
コメントまでは書かないけど巡回コースとして読んでる人など、どう思っているかを評価してくれるとありがたい。
出来る限り参考にして、軌道修正をしていくつもりだ。
ブログなんて読者あってのものだからね。
よろしくお願いします。
出発日決定! 2010.4/12
しょうたび!
正太郎の日本一周歩き旅
http://shoutabi.web.fc2.com/index.html
ホノルル完走を目指す友達
ピヨピヨさんのブログ。
ぴよぴよランド。
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