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久々にらしい文章を書き始める。
いきなりの変更ばかりで読者の皆は困惑しているんだろうか。
まぁ俺の読者に限ってそんなこと無いか。(笑

昨日は昼過ぎにジムから帰って、プロテインに同梱されていたダイエットサプリの試供品を飲んだ。
寝る6時間以内には飲まないでくれ、という商品らしいが12時間経った2時過ぎ現在でも眠くならない・・・。
お陰で書きたいことを眠気を気にせず書きなぐれるのでよしとするが、こういうダイエットサプリはいきなり使うもんじゃないな。

いつものごとく24時を過ぎたころ横になり、最近読んでいる「神道の逆襲」を読み始めた。
この古本は前の持ち主が前半の数十ページに線やカッコを書いてある、ただ数十ページで終わっているのでこらえ性の無い奴だったのだろう。
こういう手合いはロクな人間でないのでこの程度の接点で十分だ、身近に居たら無視の対象だよ。
何事も、やろう!と決めて頑張るのに尻すぼむ、こういう仕組みが判っていないで、三日坊主を繰り返すから生涯グズで終わる。

ようやく無意味な線などの書き込みが終わったので安心して読み進めていると、昔話から読み解く神への接し方が書かれていた。
それによると浦島太郎でも花咲爺さんでも、人外のモノに対して妙に優しいらしい。
亀を助けたお礼に海の底に潜ってしまえた、昼間っから釣りをしている青年。
拾ってきた白い犬を我が子のように育てるが、昔話という時代背景にしては不自然にも実子が居ない老夫婦。
実は世の中のまともさ、社会性と言ってもいい尺度では完全に異者である
社会的にまともじゃない人間は、社会の外・異界から来た他者である犬や亀に対して、家族や仲間のように優しい。
この点が神との接点を持つ、昔話の主人公に必要な要素ということらしい。
現代的に考えたらいきなり押しかけてくる女(鶴)とかありえないよな、玄関出たら婚姻届もった女が居る感じだろ。
気違いストーカーが居るんですって通報するよ、普通なら。
ただ、このように接点を持つ為の異界者へのやさしさがあるからといって、物語はハッピーエンドとは限らなくて、物語には悲しい結末も用意されている。
半々のリスクはどの世界にもあるのだ。


さて近頃の俺、というかブログ上の俺は分別を我が物としようとしていた。
無職で遊びほうけて夢は日本一周、このような立場で居ることに対しての焦りが出てきたのかもしれない。
自分が異端者であるという認識をはじめてしたんだと思う。
ビビった!
まず顔をさらして旅を始め失敗を3回も重ね、それでもあっけらかんと挑戦する無邪気さ
ここで散々話した射幸心や不労所得に頼る人間への批判、それを自らに関しては簡単に破る節操の無さ
応援してくれた人へ感謝を言いながら全くの人嫌い、自分の事しか考えていない事への馬鹿正直さ

全く自分不振に陥った。
自分なりの正義すら無い人間のように思え自己嫌悪がはじまった。
この状況を打破するために。新しい自分の精神的支柱が必要になり、今までと間逆の事なかれ主義のつまらない一般人になろうとして、ブログを無味無臭にしてみた。


一連の流れを見ると、まさに無分別人間だよな。
ただこう見るのは社会的な常識人として見た場合だ。
世の中では前言撤回をするのは、無責任さや無知による未熟さという批判の対象となる。
間逆の意見に宗旨変えなんて、無節操の極みだろう。
人嫌いですぐに噛み付く俺は、人間関係に対する冒涜者であり組織の敵だろう。

しかし「神道の逆襲」に書かれていた、神に対する正直さという目線で考えた場合、俺の行動は全て許容されるというか、全く破綻していないようだ。
これに対しては本当に目からウロコとなった。
今まで30年間ぼんやりと感じていたモノが、いきなり地デジのクオリティで出現してしまった。

神への正直さというのは右のものは右、左のものは左ということらしい。
つまり、あるがままの正直さを持つ事が一番大事なのだ。
この点で言えば、社会性や親密度を無視して人の悪事を、悪事だ!と怒ることは正しい。
無分別と言われる事ですら、自分を成長させるプロセスとして選び出した事は、失敗しようが宗旨替えをしようがその行動は正しい、なぜなら自分のやりたい事に対して嘘ではないからだ。
生き方を曲げない正直さこそ、神へ通じる最も重要で必須の条件だ。

こう言うと犯せ、殺せ、奪い取れ、なんてのがしたい奴にとって、神道の世界はパラダイスのように思えるだろうが、ありのままの正直とは本当に自分の心を偽ってはいけないものなんだ。
悪い事をしよう!と思った時点で、悪い事だと認識するから出来なくなるのが、この神とのつながる世界の大前提だからな。
よく、やりたいからやった!むしゃくしゃしてやった!なんて奴がいるが、ただの馬鹿だから無視していい。
自分の奥底を見ようともしないで悟った気になり、自分を許す事だけ考える手合いが非常に多い


神を信じない俺が神道の一部分を知っても意味が無いのかもしれない。
ただ、俺は人に愛されようと思って生きてきたのではない事がはっきり判った。
みんなには悪いが、別に他人のことなんて好きでも嫌いでもない、もちろん良くしてくれる人には感謝もするし、コメントやメールで応援してほしいし、旅先での出会いも楽しい。
でも、人の為に辛い思いをしてる訳じゃない

ついつい義務感で文章を書いていて、今回の衝撃にぶつかっても結局やめられずに、くだらない文体にしてフェードアウトしようとしていた。
この義務感ってのがあったから、いきなりココから消える事も出来なかったんだな。
つい読者のほうが気になってしまうから、つまらない文章を書いていれば、みんなが離れていってくれるかと思っていた。
俺はココを続ける事が目的なんじゃないのに、なぜか第一義がすり替わってしまっていた。
自分の言葉で好きなだけ意見を吐く事が出来る場所だったのに。
人がどう思おうが、俺のサイトやブログだから言わせてもらうよ、こういったスタンスが崩れたのはいつからだったのかな。


神とは人でもある。
つまり祈る人が居なければ神も存在しない
俺が神に向かう正直さも、裏を返せば人への正直さなのかもしれない。
今の俺は自分と、神のような正直にぶつかり応えのある存在しか見えていない。
ただ、これが裏返って未来の人々に対してぶつかれる文章が書いていけたらいいと思う。
今読んでるみんなには・・・、どう?どうなの?(笑
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