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今日は今年の冬の車旅を振り返ってみる。
こういうところに書いておかんと、俺自身が忘れちゃうしな。
1日目は歩きの道を辿りつつ、歩きなら1週間かかる坂本宿まで走った、高崎から30kmほど先の軽井沢手前にある碓氷峠のふもとの宿場だ。
で2日目の朝に起きたらこの状態。orz
ナビは付いててもスタッドレスではない、ここから幹線道路に出るまだけでも一苦労だった。
いきなり昼飯の画になるんだけど、小諸城の前の蕎麦屋での天ザル大盛り、これぞ本場の小諸蕎麦!
なんとか碓氷峠を越えて長野入りをしたんだけど、これで旧道(登山道)・旧舗装道路・バイパス道、と碓氷峠越えの道は完全攻略した事になる。
小諸から上田で曲がり塩田平に入り、盆地の突き当たりまで行くと別所温泉。
これは国宝の八角の塔、今では残っていること自体が珍しいらしい。
鎌倉幕府の北条さんが贔屓にしていたそうで、ここらまでは関東の武士政権の影響力があったんだよな、というより勢力圏の最前線だとすると、自然と経営に力を入れなきゃいけなかったのだろう。
3日目の朝は別所温泉の高台にあるため池のほとり。
この2日目の夜に酒を呑んでいたら、ふと後ろの斜面に人影が動いた、雪が残っていたから黒尽くめの人影が浮き上がって見えたんだ。
「どちらさん?」
と声をかけるとズルズル滑りながら高さ5mほどの雪の残る斜面を逃げ登っていく。
俺は人がいいのか自分が悪いと思い込んで、、
「ここで車中泊してもいいよねー?」「怪しいもんじゃないんだけどー」
と声をかけ続けていた、見た感じ小男のオッサンが消え去ってから、あれ?と気づいたけど後の祭りだ。
呑んで寝た後に小便で目を覚ましたら、駐車場の端にもう一台コンパクトカーが停まっていて、車がバコンバコンタテ揺れしてた。(爆
俺は耳栓して寝てるから気づかなかったんだけど、熱闘開催中だ。
尿意も解消し、コンパクトカーのカップルで覗き君の目的が判ったところで、これからも日本の隅っこ別所温泉で、いつまでも性欲旺盛な毎日であるように、3人とこの駐車場の平和を願い耳栓をして寝た。
起きたらまた雪が降って凍り窓を開けるのも一苦労、結露で寝袋はずぶ濡れだ。
そうそう、こんな感じでフトンを敷いた上に寝袋で寝ている。
レンタカーでここまでする奴は相当少ないに違いない、と自負するところ大だ。
マーチなのでメチャクチャ狭いです。w
独鈷山を仰ぐ中禅寺、一目で信仰の対称になる山だと思えるイイ形。
この中禅寺の薬師堂も平安~鎌倉期のもので、800年前の木造建築物。
長野県最古らしいが、薬師堂・薬師如来っていうのは、病を治してくれる仏教施設なんだよな。
日本の仏教信仰っていうのは古来(八百万)の神々に比べ、現世利益的なモノが多量にあるから急激に広まったんだけど、この信濃の国(長野県)最古の建物(仏教施設)として、それを象徴しているようで実に面白い。
それ以前の独鈷山が土地の神様で霊場化していた所に、鎌倉期の僧侶がやってきて寺を建てる、その時に成立したばかりの鎌倉幕府の実力者の力を借りたのかもしれない。
新しい幕府の時代が来た事で塩田平の人々が、独鈷山信仰からの脱却を考えたのかもしれない、鎌倉発の最新モードとしての仏教を憧れ、積極的に取り入れたのかもしれない。
これらは勝手な推測なんだけど、現場に来てその場所の空気を吸いながら、遠い昔の人々を想像して遊ぶのが、旅で一番楽しいことだ。
次は前山寺、中禅寺からここまでの1km位だったんだけど、斜面を通って行ったので除雪がされていなくて、一時スタックしてしまった。
マーチは車重もないし高回転型だからか、タイヤが空転を始めるとオシマイだ。
それ以前にスタッドレスじゃないのが間違いなんだけどさ。orz
たどり着いた前山寺からは塩田平が一望できる。
前山寺の三重塔、未完成なんだけど美しいというのが売りの珍しい塔だ。
それよりも融雪剤を撒きながら、「気をつけて歩いてください」と優しく気のいい寺男?さんを見て、こういう光景も今時珍しく、美しいと思った。
ここは上田城、観光地化していてるだけであまり面白い城ではない、平城だし。
真田氏の頃の遺構でも残っていればいいんだけどね。
上田では城の敷地内の歴史博物館・池波正太郎記念館・北国街道の柳町などを見て歩いた。
お昼はモチロン天ざる、車の旅はリッチ旅なのである。(笑
いきなり山梨に飛んだのは、雪の無い高崎まで退却しようと走っていたら、小諸の辺りで→韮崎の看板を見たから。
そういやココらに勢力のあった村上氏を武田信玄が攻めたのが、この佐久口からなんだよな。
甲府から真っ直ぐ北上すると、北信濃に出るのが佐久口(佐久平への道)。
北西に今の中央道・20号線を向かうと諏訪口・信濃中央部に出る。
俺は20号が好きで、関西以西に行く時はいつも通るんだけど、佐久道は全く通った事が無い。
既に夕闇に包まれ、清里の辺りではー10℃の電光掲示板が光っていたりと、かなり危ない道だったが、飛ばす地元の車に付いていく事だけを考えていたら2時間もしないで韮崎まで着いてしまった。
で、いつもの釜無川のほとりの駐車場で一泊。
4日目は20分ほど走って甲府まで出て、武田神社の裏山の要害山に登った。
ここは本丸で武田信玄が生まれた場所だ。
親父の武田信虎が今川の大軍との戦に出て、下手すりゃ負けるかもね、という時に生まれそうになったので、武田神社の位置にあった館から避難して信玄を生んだんだ。
登って判ったんだけど山城だけに、腹の大きなお母さんが登るにはちょっとしんどい、何ヶ月くらいで登ったのかな、輿とかだったのかな、などと想像をめぐらすのが楽しい。
本丸にある庭石の跡。
戦国期の大名の館では枯山水の庭を作るのが流行った。
こんな山城にまでブームの庭を造るんだから恐れ入る、ていうか武田家は甲斐源氏の棟梁で、戦国大名でもかなり血筋がいい。
雅な京文化を持っていて当然なんだけどね。
江戸期になると枯山水はあって当たり前の装置として、中級の武家屋敷ともセットになる程で、その源流にはこういった山の上の館にまで風雅を求めた、大名・権力者の文化があるんだろう。
その後は武田神社に寄り、20号を下道で千葉まで帰った。
歩き旅のリベンジのはずが雪にたたられ、新潟どころか軽井沢から数十キロの長野市にすら届かなかった。(泣
心まで折られたロコンは、次の夏旅は新潟以外に行こうと決意したのであった。
こういうところに書いておかんと、俺自身が忘れちゃうしな。
1日目は歩きの道を辿りつつ、歩きなら1週間かかる坂本宿まで走った、高崎から30kmほど先の軽井沢手前にある碓氷峠のふもとの宿場だ。
で2日目の朝に起きたらこの状態。orz
ナビは付いててもスタッドレスではない、ここから幹線道路に出るまだけでも一苦労だった。
いきなり昼飯の画になるんだけど、小諸城の前の蕎麦屋での天ザル大盛り、これぞ本場の小諸蕎麦!
なんとか碓氷峠を越えて長野入りをしたんだけど、これで旧道(登山道)・旧舗装道路・バイパス道、と碓氷峠越えの道は完全攻略した事になる。
小諸から上田で曲がり塩田平に入り、盆地の突き当たりまで行くと別所温泉。
これは国宝の八角の塔、今では残っていること自体が珍しいらしい。
鎌倉幕府の北条さんが贔屓にしていたそうで、ここらまでは関東の武士政権の影響力があったんだよな、というより勢力圏の最前線だとすると、自然と経営に力を入れなきゃいけなかったのだろう。
3日目の朝は別所温泉の高台にあるため池のほとり。
この2日目の夜に酒を呑んでいたら、ふと後ろの斜面に人影が動いた、雪が残っていたから黒尽くめの人影が浮き上がって見えたんだ。
「どちらさん?」
と声をかけるとズルズル滑りながら高さ5mほどの雪の残る斜面を逃げ登っていく。
俺は人がいいのか自分が悪いと思い込んで、、
「ここで車中泊してもいいよねー?」「怪しいもんじゃないんだけどー」
と声をかけ続けていた、見た感じ小男のオッサンが消え去ってから、あれ?と気づいたけど後の祭りだ。
呑んで寝た後に小便で目を覚ましたら、駐車場の端にもう一台コンパクトカーが停まっていて、車がバコンバコンタテ揺れしてた。(爆
俺は耳栓して寝てるから気づかなかったんだけど、熱闘開催中だ。
尿意も解消し、コンパクトカーのカップルで覗き君の目的が判ったところで、これからも日本の隅っこ別所温泉で、いつまでも性欲旺盛な毎日であるように、3人とこの駐車場の平和を願い耳栓をして寝た。
起きたらまた雪が降って凍り窓を開けるのも一苦労、結露で寝袋はずぶ濡れだ。
そうそう、こんな感じでフトンを敷いた上に寝袋で寝ている。
レンタカーでここまでする奴は相当少ないに違いない、と自負するところ大だ。
マーチなのでメチャクチャ狭いです。w
独鈷山を仰ぐ中禅寺、一目で信仰の対称になる山だと思えるイイ形。
この中禅寺の薬師堂も平安~鎌倉期のもので、800年前の木造建築物。
長野県最古らしいが、薬師堂・薬師如来っていうのは、病を治してくれる仏教施設なんだよな。
日本の仏教信仰っていうのは古来(八百万)の神々に比べ、現世利益的なモノが多量にあるから急激に広まったんだけど、この信濃の国(長野県)最古の建物(仏教施設)として、それを象徴しているようで実に面白い。
それ以前の独鈷山が土地の神様で霊場化していた所に、鎌倉期の僧侶がやってきて寺を建てる、その時に成立したばかりの鎌倉幕府の実力者の力を借りたのかもしれない。
新しい幕府の時代が来た事で塩田平の人々が、独鈷山信仰からの脱却を考えたのかもしれない、鎌倉発の最新モードとしての仏教を憧れ、積極的に取り入れたのかもしれない。
これらは勝手な推測なんだけど、現場に来てその場所の空気を吸いながら、遠い昔の人々を想像して遊ぶのが、旅で一番楽しいことだ。
次は前山寺、中禅寺からここまでの1km位だったんだけど、斜面を通って行ったので除雪がされていなくて、一時スタックしてしまった。
マーチは車重もないし高回転型だからか、タイヤが空転を始めるとオシマイだ。
それ以前にスタッドレスじゃないのが間違いなんだけどさ。orz
たどり着いた前山寺からは塩田平が一望できる。
前山寺の三重塔、未完成なんだけど美しいというのが売りの珍しい塔だ。
それよりも融雪剤を撒きながら、「気をつけて歩いてください」と優しく気のいい寺男?さんを見て、こういう光景も今時珍しく、美しいと思った。
ここは上田城、観光地化していてるだけであまり面白い城ではない、平城だし。
真田氏の頃の遺構でも残っていればいいんだけどね。
上田では城の敷地内の歴史博物館・池波正太郎記念館・北国街道の柳町などを見て歩いた。
お昼はモチロン天ざる、車の旅はリッチ旅なのである。(笑
いきなり山梨に飛んだのは、雪の無い高崎まで退却しようと走っていたら、小諸の辺りで→韮崎の看板を見たから。
そういやココらに勢力のあった村上氏を武田信玄が攻めたのが、この佐久口からなんだよな。
甲府から真っ直ぐ北上すると、北信濃に出るのが佐久口(佐久平への道)。
北西に今の中央道・20号線を向かうと諏訪口・信濃中央部に出る。
俺は20号が好きで、関西以西に行く時はいつも通るんだけど、佐久道は全く通った事が無い。
既に夕闇に包まれ、清里の辺りではー10℃の電光掲示板が光っていたりと、かなり危ない道だったが、飛ばす地元の車に付いていく事だけを考えていたら2時間もしないで韮崎まで着いてしまった。
で、いつもの釜無川のほとりの駐車場で一泊。
4日目は20分ほど走って甲府まで出て、武田神社の裏山の要害山に登った。
ここは本丸で武田信玄が生まれた場所だ。
親父の武田信虎が今川の大軍との戦に出て、下手すりゃ負けるかもね、という時に生まれそうになったので、武田神社の位置にあった館から避難して信玄を生んだんだ。
登って判ったんだけど山城だけに、腹の大きなお母さんが登るにはちょっとしんどい、何ヶ月くらいで登ったのかな、輿とかだったのかな、などと想像をめぐらすのが楽しい。
本丸にある庭石の跡。
戦国期の大名の館では枯山水の庭を作るのが流行った。
こんな山城にまでブームの庭を造るんだから恐れ入る、ていうか武田家は甲斐源氏の棟梁で、戦国大名でもかなり血筋がいい。
雅な京文化を持っていて当然なんだけどね。
江戸期になると枯山水はあって当たり前の装置として、中級の武家屋敷ともセットになる程で、その源流にはこういった山の上の館にまで風雅を求めた、大名・権力者の文化があるんだろう。
その後は武田神社に寄り、20号を下道で千葉まで帰った。
歩き旅のリベンジのはずが雪にたたられ、新潟どころか軽井沢から数十キロの長野市にすら届かなかった。(泣
心まで折られたロコンは、次の夏旅は新潟以外に行こうと決意したのであった。
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