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今日は久々にトレに行ってきた、なんと胸のトレは12日ぶり。
しかし、酒の後遺症は残っていて、両目のまぶたからこめかみ、頬の上まで痒くてしょうがない。
急に摂取したアルコールの分解が追いつかなくて、体の弱い所、細い部分などに溜まって炎症となっているのだろう。
アルコール自体毒物なので、分解能力を超えた呑みすぎは、危ない事なんだな。

これで目が覚めた。
酒は危ないものだと言う事が身にしみた。
ただのんべんだらりと、飲酒生活を続けている限り、こういった事は判らない。
悪いと思ってはいるんだけど・・・、とか、辞められれば辞めてるよ、なんていい訳の世界は、日常によって作られる。
かく言うオレも、ここ半月ちょいだらけた生活を、自力で改善できなくなっていた。


こないだ職場を辞めていった元同僚に、PCが欲しいと言う割りに、その為の前進が見られない、と言い。
俺ならば、今月は金欠だけど¥5000貯めた、来月は¥50000は回せるから、年内には目途が付く。
こういった思考をしなきゃ、いつまでもそのままだよ。
と話をしめた。
こういった奴は、職場にゴマンといる。
ていうかほとんどの人は、日常生活を送るだけで人生を終えるだろう。
だから、何も変わらないし変えられない。


こないだ異動してきたマラソンランナーは、久々に何かに打ち込む同僚だ。
で、その人にマラソンという持久的スポーツに対しての、ウエイトトレから見た筋力の重要性を話してみた。
もちろん結果を出しているスポーツマンに対して、しかも畑違いの種目なので、あくまで「どうなんでしょう?」という、問いかけ以上の決め付けは出来ないんだけど。
ところが先週そのランナー氏は、早速、全力での短距離走を取り入れてみた、と話してくれた。
これが変えられる人間、結果を出せる人間の、行動パターンなのである。

彼が言った事は一理あるかもしれない、雑誌で覚えたコレをやってみよう。
そういった変化にたいしての柔軟性こそ、前に進む力になるのだ。
ランナー氏は、年明けから以前少しかじったウエイトトレも再開しようかな、と準備しているらしい。
こうやってお互いに刺激を与えられる関係こそ、益者三友なんだ。


何事も続けるという事は、マンネリ化する事だと覚えていたほうがいい。
ウエイトトレでも、3ヶ月やったらメニューを変えましょう、と言われる。
初心者のうちからイロイロな種目を覚えれば、将来のトレーニングに幅が出る。
なにより刺激を変える事が大切なんだ。
毎回同じ種目・同じ重量をしか挙げていなれば、何年経っても体に変化は現れないだろう。
少しづつでも重さを増やし、種目を増やし変える事で、筋肉に今まで以上の負荷を与えられるのだ。

これは日常生活も同じ。
日々の生活はマンネリする一方だ、タバコを止められない、運動を始められない。
いつまでも部屋が片付かない、金が貯まらない、毎日が楽しくない。
ゆるやかに日常化するから、最初の状態からの変化が分からなくなる。
タバコを吸い始めた頃は、1本で動けなくなったりするが、数年吸えばただの日常、どう悪くなったのか判断できなくなってしまう。

だから、過激な方針転換が必要なんだ。
俺やランナー氏のように変化が日常化している人間になるには、まず、変化を求めて生活しなければいけない。
タバコを止められないのなら、タバコを全力で吸ってみればいい、死ぬまで吸えば毒だと判るだろう。
運動が出来ないのなら、自分の体を写真に撮ってみればいい、現実を直視しない日常を変化させるんだ。
新しい事を始めれば絶対失敗する、しかし失敗から学ばなければ、どこから学べるのか?
自分の行動以外に教えてくれるモノはないし、身に詰まされなければ覚えもしない、日常生活の中にはマンネリ化した行動しかないから、失敗することも少ない。
だから失敗するまでやりすぎてみるんだ。


人には見ようとしなければ、見えないという特性がある。
現実を見ようとしなければ、真実は見えてはこない。
変わろうと決意しなければ、変化に気づかない。
だから自分の事を疑い、日常を脱する行動をしなければいけない。

悪いと判ってると言うだけだから、いつまでもその悪習は変わらないんだ。
まず行動だ。
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ここんとこ、小室が捕まった話題で持ちきりだな、オバマが勝ったのもあるけど。
20歳ごろに遊びまくって頃だけど、俺の先輩がアユの事務所の社長のマブダチで、なんとなく音楽業界の一端をおがんだりもした。
ただ、その頃から相当危ない経営体制だったのは、俺ら部外者でも良くわかったものだ。
水商売の武勇伝なんかと全然変わらない話しか、ネタが無かったからな。(笑
俺らもそういうハメを外した生き方に、何も判らず憧れていた事も事実だけど。


で、小室の末期は俺の親父の失踪前にそっくりだ。
貧すれば鈍す、という言葉の通り、嘘をついてでも犯罪をしてでも、とりあえず金を調達する事しか考えなくなる。
そのくせええカッコしいから生活レベルは落とさない。
俺の親父も借金を息子に擦り付ける工作をしつつも、電車には絶対に乗らなかったからな。
むろんそういう虚像は、嘘をくらます手段でもあるんだろう。
で、一番心配なのはKEIKOの発言だ、一生ついていくだっけ?
小室とは手を切らないという事らしい。

これは、20歳ころの俺の考えと一緒だ。
俺が厨房の頃に借金で首が回らなくなって自己破産したんだけど、離婚した経緯を母親から知らされなかったというのもある、が。
親父だから仕方が無い、悪い事をしたって言っても親父はいい人間だから、と信頼を寄せてた。
で、こういうバカが騙される。(自爆
詐欺のような借金の実際の手口を、母親がきちんと説明するべきだったし、逆を言えば別れても息子に警告を与える必要が無い、と母親を信頼させる程に、父親は嘘が上手かったんだろう。

借金を口先で乗り切ろうとした人間は、既に人格破壊が起きている。
これは罪を償っても全く変わる事はない、なぜなら、彼らはこういう生き方を覚悟したからだ。
自分が逃げ延びるためには、いかなる犯罪もやむなし、こういう間違った悟りを開いてしまったんだ

だからKEIKOは危ない。
刑務所から出てきて更正したフリをして、その先も同じことを繰り返すだろう。
そして最後は資産家の実家が潰れるか、わが一家のようにKEIKO自身が、借金地獄を背負わされるかだ。
一回狂った人間が、真っ当になって成功した例なんて、今まであるかい?
宗教者にでもなって、金が無くても生きていける世界にでも行かない限り、俗世の誘惑に引きずり込まれるような、弱い精神の治療法は無い。


さて、こいつらは嘘が非常に上手い。
後から気づく嘘でも、その時は本当のことのように聞こえる。
これはなぜだろう?
大人は嘘を本当と思いこみながら吐(つ)くからだ
例えば筋トレのやり方でもそう、腕立て腹筋なんて筋肉には何にも役に立たない。
コレが事実だが、知らない素人ならば、「家で筋トレ=腕立て」と答えるだろう。

実は俺たちも嘘をつくのが非常に上手い大人なんだ。
だから、間違った事はしない、射幸心を持たない、努力を惜しまない、自省を忘れない。
こういった人生の規範が必要なんだ。
だらけたクソ生活を送っても、自分さえ納得できる理由があれば、そいつの頭ではクソ生活も完全に正当化されてしまう。
そして、俺は間違っていない!
と嘘を吐いてしまうのだ。
でなけりゃ腐った中高年も生まれないし、ニートやプー太郎も現れない。
俺だってプーしてた頃は、本当に悪い事してるという危機感を持たなかった。

気づいて行動するには、自分の常識を疑ってみる事が必要だ。
俺は何者なのか、この人生で本当に満足できるのだろうか、さっき友人に話した事は真実だったのか。
気づく事はとてもいい事だし、自分をより良くする事は楽しい。

昨日酔っ払って書いた記事の書き損じは・・・・
非常に恥ずかしい!(滝汗

職場の部隊が2つに別れて一ヶ月になる。
で、今まであまり絡んだ事の無いおじさんやじいさんとも、一緒に仕事するようになってる。
今のA部隊に居るおじさんらは、非常に当たりが柔らかい。
元接客業のオーナーの人などは、完全にその姿勢が身に付いてるプロだし。
今と同じ業種の正社員を10年以上続けてきた兄さんは、折衝が多かった為に誰に対しても物腰柔らかで、俺には絶対に真似出来ない余裕がある。
そこで共通するのは、相手に楽しんでもらいたいなどの、人への思いやりの心だと思う。

今日は仕事の最終日、タラタラと歩いていて信号待ちになった所で、1ヶ月ほど前に分裂したB部隊に、他所から異動してきたオッサンに声をかけられた。
職場で全然話しかけてこなかったし、傍で見てても面白そうな話をしてそうでもない、典型的な年だけでふんぞり返る、自意識にじみバカだ。
家は近いのか?みたいな事を聞かれたんだけど、MP3を聴いてるのでよく聞こえなかった。
オイッスー!とだけ挨拶をして、完全に無視しておいた。
つーか、話が面白い奴は、いつの間にやら引き付けられて、会話が弾んでしまうもんだ。
そんな会話術すら持ってないおっさんといくら話しても、得る事が何も無いだろう。

野郎とは同じ時間帯に通退勤をするので、歩いてるとこだけだが2年以上は見ていた。
その歩き方の印象だけで絶対に話したくない奴と思っていたのが、嫌う直接の原因なんだけど。

そいつは朝鮮系なのか、肩をいからせヒジを後ろに引き、のしかかるような歩き方をする。
俺がトレーニーでなければ、骨格がそうなんだから仕方が無いと思うんだけど、あいにくウエイトトレーニーだ。
皆が言う筋肉とは骨格筋と言って、骨を適正な位置に保つ筋肉なのだ。
ガイコツの模型なんかも、骨だけだとあの形にはならない、そこに適切な筋肉が付いてるから、あの人体模型のような正しい姿勢ができるんだ。
つまり、体が曲がっていたりするのは、筋肉が骨格を維持できない程にしか付いていない、貧弱な人間という事になる。
俺もトレーニーになるまでは、がに股で猫背の典型的なチンピラ姿勢であった。
その時は慢性的な腰痛と、電車で座るとヒザが閉じれないほどの、モモの内側の筋力低下を起こす体であった。
外見的には偉そうで怖そうに見えてたのかもしれない、だけど実際には非力なザコであったんだ。
今の俺は背骨がS字のアーチを描き、胸と尻が突き出て、肩も丸まらず反らずの典型的なイイ体だ。
足は外にも内にも曲がらず、自分の意思で動かす事が出来る。

本題に戻るが、特に偉そうに見えるように姿勢の崩れた奴を、俺は昔の自分を見るようで嫌悪してるんだ。
その頃の俺は、偉いと思えば偉くなると思い込み、意志の力こそ全てと信じ、毎日タバコと酒を消費するだけの人間であった。
そいつがどういう人間だかは知らないが崩れた外見をして、俺が一人のときを狙って、端から年齢のみで見下すような話しかけ方をした事に、怒りがこみ上げてきたんだ。
1年以上前の俺なら怒鳴っていただろうが、今は旅以外に労力を割きたくないので、無視という穏便な手段をとった、が瞬間的に怒りを感じたのは事実だ。
日常的に話すのがいい人ばかりだから、たまに遭遇するバカに余計苛立つのかもしれん。

あと10ヶ月でこんな会社ともおさらば。
俺に無い心の広さを持った人生の先輩を見習って、その人たちの話を少しでも多く聴いておこうと思う。
敬語ってのは自然と出るもんですね、と前に職場のK君と話した。
ふとその事を思い出したんだけど、自然と悪感情が出るのも自然と敬語が出るくらいに、当たり前の事かもしれないね。
ガキに完璧に無視されるようなおじさんにはなりたくないな。

今日はここのコメントでもお馴染みの、adeuさんとGジムの無料同伴に行くつもりであった。
が、彼のBBSでの意思疎通は上手くいかず、結局いつもより1時間遅い8時から、一人でのトレとなった。

そのトレの最中に、もう野郎とは一切の関わりを絶とうと思ったのだった。
昔から読んでる人にはおなじみ、初めての人はビックリな絶交宣言である。
俺は過去に様々な奴と親交を結んでは、一方的な見放しをしてきたのだ。
しかし、今回adeuさんを絶交した後は、プライベートで合うダチは完全に居なくなるので、こういった話はこれが最後でもある。

で、いきなり絶交して友達無くしてもいいの?
と思うのが、皆が普通に抱く疑問ではないだろうか。
そう、あまりにも一方的で急な断絶だからである。

前に書いた益者三友・損者三友、にもあるとおり、友達にもイロイロな種類がある。
理論としては単純で、俺に必要な益者三友では無かったので、こういう友達は要らないという事だ。
しかし、それでは友達じゃないんじゃないの?相手の気持ちだってあるだろうに。
こういうしごく真っ当な意見もあるだろう。
こんな事を真面目に言う人は、騙されたことの無いぼっちゃん嬢ちゃんだろう。
DV(ドメスティックバイオレンス)を受けてる妻が、
殴る時は痛いし嫌だけど、その後はすごく優しいんです!この人には自分がいなくちゃダメなんです。
なーんて話したりするのと、原理は同じだよな、損害は情でリカバーできるという心理だ。
だがこういう場合、そういう事を言う妻だからダンナが暴れるのである。
お前が殴れば即殺すからな。
と初めから言っておれば、こんな悲劇にはならないし、お互いを尊重した生活が営めるのである。
つまり、自分の甘さに付け込まれて、相手の甘い考えを引き出しているんだ。
ていうか相手から捨てられる怖さなんて、自分の人生を無駄にする恐怖に比べたら、屁みたいなもんだ。

友達同士も同じ。
俺は彼と何回かツーリングやイベントに出かけた仲だが、いつも遅れるのは奴である。
今回は仕事があって連絡が出来なかったという事だが、じゃぁ次回は?となる。
一度やる奴は何度も繰り返すのだ、それがそいつの本質で、そいつが人生で身に付けた特性なのだ。
だから、関係を切らなければいけない。
相手の特性を変えるなんて、膨大な時間と労力を使うヒマなど無いからだ
そして、こういう事が判ってると自分の生活も変わる。


みんなは自分に不満があるだろうか?
焦りというものを感じているだろうか?
そういうものは人間誰しも持っている感情だが、どういうレベル?

子供の頃の夢は何だった?野球選手かケーキ屋さんか。
しかし大人の現実は、金のために仕事をしている人がほとんどの社会。
今失業したら、次は同じくらいの給料で、できるだけ大きな会社に入りたい。
夢なんてこんなもんだ、失業したから野球選手を目指すバカはいない。
これは人生に対する価値観の違いだよな、どこを見ているかで全然違う
子供の頃は大人なんて全然先の未来で、いつかの話だ。

では、大人たちに問うんだけど。お前らの死は一体いつだ?
10年後?30年後?
俺の場合は65歳で死ぬとして、36年後だ。
それまでの人生に対しての不安は?焦りは?
そんなもん、遠い未来で訳判らんよ、子供が夢見る10年後よりも遥かに先の未来だもの。
だから、中期目標の設定が必要なんだ。
10年先の大きな目標、それの前に仕上げる個々の目標が数年分、さらに個々の目標の為の準備を1年程度のスパンで決める。
こんな事言われてももピンと来ない奴には、俺の目標を書いておくので理解してくれ。

2008年 11月 現在
 この間は準備期間 体造り、旅の装備の拡充、歩き旅の練習
2009年 9月  日本一周に旅立つ
 HPの更新、旅のデータの収集、帰った後の目標を決める
2011年 9月  旅から帰る
 資金の確保、次の目標の設定、大型バイクでレース、ボディビル
2013年 9月 世界一周?もしくはコンテスト?レース?
2018年 この頃39歳、母親に孝行しながら何かをする。
2019年 40過ぎたら金儲けにでも走る?老後の目標の設定。

太文字が設定されてる中期目標、これはもう決定事項だ、その先は体力とも相談だし、科学技術の進歩にもよると思う。
中期的な目標で大きく舵を切る、これは旅に出たりとか、何かを目指す事だ。
で、その旅のため、旅の最中、次の目標の為に、日々の努力を行っていく。


で、本題に戻るんだけど、これだけの目標と行動がある場合、その事に対しての焦燥感が生まれる。
adeuさんが今回来れなかった事は、今行っている体作りに対しての障害なんだ。
今は身体的に伸びていかない事が一番怖いので、それを阻害する要因が、今の俺にとって最大の悪になる。

何も変わり映えのしない日々にフト思う焦り。
これは目標の無い焦りなので、危機感が全然出てこない焦りだ、なんとなく焦るってやつ。
俺が見て思う、浮ついたガキというのは、こういう人々を指す。
残り1年の大会の記録でオリンピックに出れるか決まる、というスポーツ選手の焦りとは根本的に違う。
自分の人生のリミットが決まっていないから、日々を平々凡々と暮らせるし、約束を違えても平気になれる。
逆を言うと、今俺の邪魔をする奴は、どんな事をしてでも排除しなきゃいけないし、それが自分の甘えた感情ならば、何が何でも押さえ込まなきゃいけない。
こういう努力をする人は、浮ついてるヒマは無い。
甘やかしても何も始まらんのだから、浮つく必要が無くなる。
数年の目標ですら俺のようになるんだから、人生を賭けて己の生き方を世に問うような大人物は、それこそ別の人種なんだろうな。
名を残す人々の凄さは、生き様を心得ている深さもあるのだろう、だから俺は歴史好きなのかも。

こういう地に足の着いた人の、いかに少ない事か。
李白と杜甫のように本当に慕える友とは、数千里離れた所にしか居ないのだろうか。
しがらみも無くなったからこそ、今日からは俺しか居ない人生を歩けるのか。
眩しく透き通った秋のいい日だ。
昨夜仕事場に向かう道すがら、「他人の仕事量が気になる」というフレーズが浮かんだ。
いつも何かしら思考をしているんだけど、そういうのは今ある材料の組み合わせを試してんだな。
だから、今の俺が抱える問題はコレなんだろう。

まず、他人が気になるだけでなく、仕事量が気になるのが問題だな。
つまり、仕事場の事が気になるだけだ。
プライベートは充実しまくっているからな、何不自由ないし、不自由な事はしないし。
あ、仕事場のことでも書こうか、この調子だとまとまらなそうだし。w


で、俺の職場なんだけど1000人を越したくらいの従業員がいて、その中の9割くらいはバイトという、曰くイマドキの会社だ。
やってるのは軽肉体労働とでもいっておこう。
少数の特権的な社員が、大勢雇い入れたバイトこき使うという、、搾取的な会社の典型だ。
だからバイトは次々と辞め、そういう情報が元バイトから流れ、新しいバイトの補充は年々難しくなっている。
結局行く当てのない中高年が増え、肉体労働なのに質は落ちる一方である。
8年目になる会社でコレは致命的だ。
俺は6年ちょい勤めているが、その頃から居る従業員なんて極少数だし、入っては辞めていく新人は数知れず。
ていうか定員20名の部隊で、毎年半数の10名以上の面子が変わるって異常だ。

2年前頃だろうか、親会社の現場監督部隊が撤退した事も、この悪環境に拍車をかけた。
受け持ち業務をわが社で仕切ってるという事は、最高権力がわが社にある訳だ。
課長クラスの人間が、実働部隊の責任者なので、現場ではコレを頂点としたヒエラルキーが形成されたのだ。
で、こういう小さい会社の小人物が、制限無しの権力を持つと、何をしても許されると勘違いする事になる。
逆らう者への懲罰人事は当たり前、イエスマンの取り巻きを登用し、仕事もせずに悪口大会をする毎日だ。
しかも会社の上層部も親会社もバカなので、連絡を入れてから視察に来る。
何とか水産省と同じだな、不正米を防げないのは政府だけじゃない。
シビアなはずの民間ですらこの体たらくだ。


そしてわが部隊はというと人が居ない。
何回かの間引きで生え抜きを失い、他の部署から課長一党の息のかかった部隊長が送られてくる。
そいつらは何も知らないで派遣されてきて、何も現場作業をしないで命令を出すだけの存在だ。
奴らの第一義は課長以下同じ。
偉そうに振舞い、それによって日々の小さな自己満足を得る事だ。
何かデカイ事をしてやろうと思う前に、目の前の快楽に溺れている、タバコやギャンブルと同じ。
こういうのには何を話しても通じないので、基本的にシカトなんだけど、それが更なる溝を生み出す。
しかしこんな人間は心ある者からは、相手にされないのは当然である。

そして、こういう部隊長が隊員二十数名に対して、6人も7人もいる。
その連中の談合っぷりは恐ろしい程惨めったらしい、男が去勢されるとはコレなのかと思う。
下っ端に相手にされないから、砦を築き全員で必死に扉を押さえているんだ。
誰も相手にしてないのに!なのが本当に痛い。
ある者は虚勢を張り、ある者は余裕のフリを見せる。
そして最悪なのが、自分の仕事の配置権を利用し、特定の部下を引き連れ回しイジメを行うグズ。
これは常々上司を突っついてるんだけど、誰も怖くて言えないんだ。
部下の悪さすらとがめられない奴らなのは当然だよ、だっておべっかで引き上げられただけのガキだからな。


で、現場の下っ端兵はどうか?というと、これも・・・なんだよな。(笑
まぁ、行くところないからこの会社に落ちてきた奴らだからな。
利口な人間はスグに辞めるか割りきって利用してる。
が、割りきって残る連中はごくわずか、何も無くダラダラ生きてる人間がほぼ全てだ。
趣味はギャンブルと酒タバコ、新しい事に挑戦しないから話も単調、そのくせ自意識がにじんでる。

俺は自意識が溢れるのは仕方が無いと思うが、にじんで出る嫌味ったらしさは大嫌いだ。
溢れちゃう人間にはまだ恥ずかし気があるが、気づいて!という自意識しかないにじみは気配りも羞恥心も全く無い。
何も挑戦してない中高年はみんなコレだ。
情けない人生の何も変えないで、手近なモノで済ませているからこうなる。
他にないから年とか経験で誤魔化そうとしてるだけ。
歩き方や恰好ですぐに判るよ、まともな奴はまともに見える、変な力も入ってないし姿勢も崩れない。
どんな事でも一つ目標があれば生き方は変わるのに。


さて、この「他人の仕事量」は誰への物なんだろう。
もちろん全部であるし、その時々に応じての誰かなんだろう。
でも、これはほんの一時の思いである。
早く辞めたい会社に向かう、ほんのひとときの感情。
そして辞めた時に思い出しては開放感を得る為の記憶。
この頃読んでいるのが、古田紹欽「人間に宗教はなぜ必要か」。
4分の3ほど読んでの感想なんだが、宗教とは人を導くものであるという事だ。
何をいまさら。と思われるだろうが、この本では宗教は自分の中にあればいいものであり、わざわざ宗教をしに施設などに通わなくていいと書いてある。
仏教学者であり、禅思想家の著者が言うなら、あながち間違いではないだろうし、俺の自分教という実体験からもそう言える。
人を導くものであり、宗教的な高揚感や連帯感は、実は本題ではないのだ。

空念仏(からねんぶつ)の話も出てくるが、念仏を唱えるだけでは何もならない。
そこに救いを求める事で、念仏は本来の意味を持つ。
そうすると「なむあみだぶつ」は画期的であると同時に、本質的でもあるんだな。
救いに焦がれて一心に唱えれば、長いお経だろうが「なむあみだぶつ」の一言だろうが、キリスト教が日本に土着し変化した「おらしょ」であろうが、全て正しいんだ。

そして、自利利他の考え方。
自分の利益も大事だが、他の人々の利益にもつながるような事を、していこうというもの。
これは滅私的な事ではなく、自分にとっても利になる事が本質だ。
なぜか宗教がからむと、財産全部寄進しろとかいう話になるが、そういう宗教はその時点でまがい物である。
モノを得る事で救われるという考え方は、拝金主義、物質主義の現代日本人にはピッタリくるから、ここらはあまり意識されずにいると思うが、根本的におかしい。
自分の為に得る物が欲しいのに、金を出した分だけ幸せになるわけ無いよな、財産は確実に減っていくわけだから。
だから、宗教への布施というものは、自分の身の丈に合った額でなければいけない。

こういう話をしてると、じゃぁ何も出さずに自分の都合のいい時にだけ、神社や寺に参りお守りを買って賽銭入れればいいだろ?別に身の丈に合ってるし、などというバカガキが出てくる。
しかし、神頼みというのは頼みという行為の具現化なんだ。
努力と頼みというのは根本的に違う
何も努力もせずに、だらだらと生きてる人には一生わからないだろうが、神頼みなんて効く訳がない、現世利益を約束してくれるものじゃない。
利益とは自分の行動の結果であり、神仏への祈願とは行動への精神的な支えなんだ。

昨日、スクワットをしたんだが、はじめて95kg×10回出来た。
この時に力を込める行動が結果を生む行為であり、この時に、
自分は出来る!昨日職場でコケてヒザ痛いけど、死ぬほど苦しむ!こう決意する事が精神的な「頼み」なんだ。
これまで何もせずにいきなりジムに行き、死ぬほど苦しむ!なんて言って上がるもんではないだろ?
ヒザが痛いから、大事を取って今日は80kgで行こう、なんて弱気になったら自分の記録は超えられない。
バイクの両輪のように、心と体を意識していかなければいけない。
今時の奴らは自分の感情しか意識できない事が多い。
もっと内的にならなければいけないと思う。

散策にも適した秋。
自分の救い方がわからない人は、近くの寺などに出向き、その場の雰囲気に触れるのもいい。
宗教施設というものは、昔から人を守る形式で建てられているからだ。
旅先で史跡を巡ると、必ず出てくるのが社寺なので、知らず知らずに結構な数を見て回ってきた。
朝の誰も居ない境内に一人歩き、夕暮れの回廊をゆくと、信仰心のない俺でも肩の力が抜け安心できるから不思議だ。
宗教に利用される事無く、しかし毛嫌いする事も無く、理解していきたい。
リンク

出発日決定! 2010.4/12
しょうたび!
正太郎の日本一周歩き旅
http://shoutabi.web.fc2.com/index.html

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