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今日はまだ頭の中で形になりきってない事を書こうと思う。
ニュアンスだけでも判ってくれたら幸いだ。

で、昨日の続きで趣味の話だ。
毎度書いてるように、仕事というものは社会的制約であり、本当に自己の為にはならないという姿勢を取っている。
しかし、趣味にしてもイロイロあるんだな。
ちゃんとしたトレーニングをして1年経ち、随分と考え方も変わってきた。
歩き旅をして、これまで10年以上もしてきた、バイクで得た旅の概念が大きく変わった。
それは、本当に苦しむ趣味もあるって事だ。

逆を言えば、これまで趣味と言ってたモノは、実は手軽で自分にとって簡単で楽に出来るモノだったんではないか。
仕事にしても、本当に辛い事なら辞めるしかなくなるけど、実際に辞める事が無く続けてるってのは、楽を出来ているからではないのか。
でも、仕事が辛くても辞めないのは辛くないのであると、辛くても辞めない趣味も辛くないという矛盾になっちゃうんだけど・・・。

ただ、手軽な趣味ってのは確実にあると思う。
ではプロに近づけば、それは趣味から脱却できるのだろうか?
俺が言うプロってのは、金を稼ぐという意味でのプロではない。
日本のボディビルはドラッグフリーのアマチュアで、賞金では食っていけないけど、やってる事はプロな訳で、金=プロっていうのは間違った拝金主義の悪い例だと思う。
プロっていうのは人生の目標とか、「生活=その趣味」に、限りなく近くしていく事になるのかな?
掛ける時間が多いほど、打ち込んでいる事になるのだ。

でも、パチンコを一日中やってるグズは、プロではないよな、別に頑張ってるわけではないから。
そうなると、向上するべき数値なり精度がなければいけない。
が、これも年齢と共に代謝やホルモンは衰えていくわけで、記録が伸び続ける事は無い。

必死さでも時間でも記録でも無いけど、コレ全部必要なのかもしれないな。
けど、全部の歯車が上手くいく事なんて、同じ競技を何十年続けても、せいぜい数年程度じゃないだろうか。
そうなると全部説も違うのだ。

ここ1ヶ月くらい、こういう事を脳みそのベースで思考している。
これは生き方の指標にもなりえると思っているので、長い時間をかけて形にして行こうと思っているから、さっさと答えを出す問題ではないんだけどさ。
目的地が見えない未来ってのは、メチャクチャ不安なんだよ~~。(笑

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今日は朝のトレから帰り、アニメやゲームを楽しんでいるので、書くネタがない。
でも、前々からのストックしてたネタを思い出したので、書いておこうと思う。

今回はワールドビジョンの話だ。
http://www.worldvision.jp/
聞いた事のある人も居るかもしれないが、俺は半年くらい前に、千葉TVで土曜朝9時半からやってる「ハーベストタイム」というキリスト教の番組で知ったんだ。

ハーベストタイムはコチラ。
http://www.harvesttime.tv/
で、実はネットTVとして番組を丸々見れるので、動画という所から↓のようなページに進んで、「映像PLAY」で見てみてくれ。
この回では、ハーレー乗りのごつい男どもが、神に祈りを捧げてるという、実に怪しいニュースを真面目に紹介している。w
http://www.harvestinternet.tv/program/tvdetails.php?pnum=323&l_code=001

俺は常日頃から、一生懸命に生きなきゃいかんと言っておるが、世の中にはそういう事が判らない人も多い。
俺にとって、宗教とは知的好奇心という興味の対象でしかないので、新しい事の発見という意味で面白く見ているが、こういう番組をTVで流すという事は、宗教が必要な人を掘り起こすのに、非常に役立っていると思う。
困難な状況に置かれた人が、神を信じた瞬間に、今までの苦悩から開放されるという宗教体験は良く聞く。
つまり、困難な時に支えになってくれるから宗教なのである。


で、話を始めに戻して、ワールドビジョンの話につながるんだ。
困難な状況を神によって救ってもらった恩返しとして、神の教えを広めたり、神の代わりに自分が世界に奉仕するという事なんだ。
ワールドビジョンは、豊かな我々がお金出して、貧困に苦しむ子供を育てる活動だ。
子供を個々に限定する事で、自分がしている活動や自分の金が、直接役に立っている事を実感できる、上手いシステムだと思う。

俺は今、自分の世界しか見ていない。
この先も結婚とか我が子を必要としない、自分だけの人生を送っていくと思う。
だからかもしれないが、こういう活動を将来やるべきだと決めている

金にあかせて高級品を身にまとっても、グズグズの体じゃしょうがない。
それと同じで、いくら知識や力を得ても、ひん曲がった心根では、人生を楽しく生きれない。
俺は世の為に何かを出来る人間になりたい。

先週のガイア夜明け(TV番組)は、若者の旅行離れが進んでいるという特集だった。
海外旅行も減り、国内旅行も伸びず、無気力な若者への街頭インタビューも入り、全体的にガンバレ日本!的な流れであった。

しかし、ここ数年で海外旅行が減ったのは、海外との差を認識したからではないだろうか?
今まではみんなが行くから海外っていいよね、という安易に風潮に乗って、とにかく出かける事が目的になっていたんじゃないのか。
それは知らない世界を知る事では無く、知らない場所に連れて行ってもらい、そういう気分になって帰るだけの団体ツアーだ。
そんなの面白くもなんともないだろ、バカ女はメシ食って買い物してろって?
いくらバカ女でも、もう騙されなくなってきたんだろう。
女が行かなきゃ、男だって無理して海外まで出ようとしないよ、女のケツ追いかけてるだけなんだから。

俺は常に自分の好奇心から旅行の計画を立てる。
主には城のような遺跡だが、地域として興味が沸く場合もある。
今年の冬の九州なんかは、好きでよく行ってた土地だから、初の歩き旅でも不安が少ないから選んだ。
最近の旅は予行演習の意味合いが強いけど、日本一周の為だから仕方が無い。
まぁ、旅ってのは思い入れが全てで、主観的価値観でなんぼの世界だ。
みんなが楽しいと言うのを真に受けて、ふらふらと付いていくだけのツアー客が、旅行会社から離れたというのが現状ではないか?


大手のツアー以外に頑張っている、小さなツアー会社の紹介もしてあった。
その会社はチャリンコで深夜の東京ツアーをしたりと、特色のあるツアーを作っている。
あまり知られていない場所の発掘もしており、福井の山の中にある平泉寺という寺を紹介したりしてた。
平泉寺と言えば越前朝倉氏と双璧をなした一大勢力だ。
室町時代には僧坊六千(?)と言われた大刹で、越前観光では素通りできない場所だ。
こういうのは、場所を紹介するのでは無く、歴史を知る事を始めなければいけない。

越前には織田(おた)の庄もあり、朝倉氏の勢力拡大に対して本家の斯波氏が衰退。
本家共々織田家は越前を離れ、斯波氏の別領であった尾張に土着し、そこで勢力を拡大して織田信長の代に天下統一に向かう。
その途中で朝倉氏は信長に滅ぼされ、頭蓋骨を酒の杯にされてしまう、先祖の因縁か?
という辺りまで知ってて、本当に歴史の面白さを味わえるのである。
日本という国の中で、土地や時代や人が絡み合う様が面白いのだ

ちょっと話はそれたが、旅行会社に任せっきりにした事が、こんなに好奇心の無いツアー客ばかりにしたんだろう。
旅行というものから、景色がいいとか飯が旨いという価値観しか、生み出せなかった間違った資本主義が間違いだ。
目先の売る事しか考えないから、誰も買わなくなるんだ。

しかし旅を楽しむのに、歴史の知識を詰め込む必要は無い。
この記事を読めば、戦国期の福井県のあらましが判る。
他のサイトを検索すれば、もっと詳細な情報も出てるだろう。
事前に調べる時間が無くて、現地に着くまで何も知らなくても、ノートPCでも持っていけば、ネットの海から好きなだけ情報を引き出せる。
こういう便利な時代だから、もっとラクに旅を楽しめると俺は思う。

好きなように旅をする事は、人生を好きに生きる練習でもあると思う。
団体旅行なんて学生時代だけで充分懲りたよ、俺は。

仕事から帰ったのが8時半、昨夜の銘酒紀行を見ながら飯を食ってたら、異様に眠くなってきた。
仕方が無いと、直に床に寝転ぶ。
寒くなって体がこわばり、起きたのが10時過ぎ、にしてもメチャクチャ眠い。
あーあ、もう今日のトレは無理だな。
そう思って布団を敷いて寝てしまった。

13時半頃、暑さで目が醒める。
俺はGジムのデイ会員なので、朝の6時から午後6時までの利用時間なんだ。
で、いつもこうやって寝てしまうと16時以降に起きて、2時間も無いから録画したアニメでも見よう、となってしまうんだ。
しかし、今日は時間がある。
一眠りしたからか疲れも取れてヤル気が出てきた。
やっぱり疲れた体では何も出来ないよな、逆を言えば、いやいやでも出来る時はそれほど辛い状態では無いのだろう。
まずは休息だ。

ジムでは脚と肩のトレをこなす。
92.5kgまで伸びたスクワットは、80kgまで落ちた。
今日は前回の月曜から中3日の割りに、85kg/10×3セットを楽にこなせたので、やっぱり調子は上がってる。
にしても継続は力なりとはよく言ったものだ。
1ヶ月トレーニングをしなくて、10~20%は筋力が落ちた。
半年かけて伸ばした記録も、半年何もしなければ元に戻ってしまうだろう。
1年3年と続けなければ、自分を変える事は出来ない、しかし、そういう意思の強い人は少ない。


最近職場で読了した、遠藤周作の「女の一生・第一部キクの場合」
これは幕末のキリシタン狩りを題材にして、不幸を背負う女や信仰だけで拷問を耐える人々を描いている。
あとがきで著者が言っているんだが、拷問を指図し立場を利用して悪事を働く役人が、魅力があるように見えるらしい。
作中では、そういう苛烈な拷問を行う自分の愚劣な行為を後悔し自責するのに、またそういう場面に出くわすと、性懲りも無く悪い事を平然と行ってしまう弱い人の方が、神はより愛してくれると説く。
自分の生まれの不幸を呪ってみたり、捨て鉢に悪事に手を染たり、人を傷つけて自尊心を満足させる人は、弱い人間だったんだ。

俺はガキの頃から転校ばかりして、よくいじめを受けてきた。
だから、多勢に無勢でやられたりする場合、俺が弱いもんだとばかり思っていた。
いたずらをされたりすると、俺の知らないところで物を壊したりする人間は、悪い事を平然と出来る強い人間だと思ってきた。

でも、実は弱さゆえに人は傷つける行動をする。
俺がそういう人の弱さが判らないのは、実は本質的に強い人間だから理解出来なかったらしい
という事が、この本で理解できたんだ。
強い人間は神を必要とはしない、先しか見ないから、苦痛を苦痛としか感じない。
苦痛を人生の一大事のようには考えられないんだな、信仰を捨てずに拷問されるキリスト教徒は、拷問なんかどうでもよくなる程に、信仰に殉じる心理を持つことで、辛い事に耐える。
日々の努力を苦痛だと思わないのは、それは人生の中では局地的な問題であり、自己の存在意義や興味が、一生(か、それ以上)という長いスパンであるからだと思う。
これは一種の宗教で、自分教なんだろう。
ゆえに強い人間であり、神や信仰を必要としない人間なんだろう。
宗教とは救済の仕組みであり、そういう自分教を知らない弱い人々の為にあるんだ。


最近は適当に本を選ぶ事が多くなってきてる。
知らないジャンルでも、とりあえず買ってみようという事が多い。
新しい概念は、俺の頭の中のまだ暗い部分を照らし出し、その知識は思考の幅を広げてくれる。
一生この楽しみは追い続けていきたいな。
こういう考えが、自分教?(笑
職場で本多勝一さんの「冒険と日本人」という本を読んでいる。
本多勝一自体の評価はともかく、昔からの日本人の体質を良く突いていて面白い本である。
まだ最初の半分も読んでいないが、人は冒険族と非冒険族という分け方が出来る、とかいてあった。

冒険や探検とは何か?
これは新しいものや未知のものを知ろうという精神だ。
その本の中では、日本の役人は探検や冒険という言葉を嫌い、南極観測隊と命名して、この事が日本の冒険を軽視する姿勢を表しているという。
冒険や探検というのは少年誌などに多く見られるので、インテリ層はそういう言葉を使いたがらないのだそうだ。
大人ぶってる奴ほど感情を殺すもんな、嬉しい時にニコっと笑えない男はクズだと思う。

今ではそこまでの拒絶反応は無いとは思うけど、こういう精神構造は無くなっていない。
実際、今の職場に当てはめると、非冒険族のみが登用されている。
上司の言う事を聞き、言われるがまま行動するロボットが求められるのだ、新しく革新的な手段や、より理論的に正しい手順は、必要とされていないのである。
俺は最も長く在籍し一番仕事が出来るにも関わらず、典型的な冒険族だから目の敵にされる。
この冒険族を非冒険族が迫害するというのが、日本社会と他国の大きな違いらしい。
他の国(アメリカ・イギリス)では冒険の許可を与えるのみで、後は死ぬも成功も個人の自由となる。
しかし日本では認可も与えないし、失敗の可能性が万に一つでもあれば、ソレのみで冒険を潰そうとする。

チャレンジにより人間は新しい次元に進んできたのである。
失敗をした理由を明らかにして、成功への足がかりにしてきたのである。
大航海時代やペリーの日本探訪があったから、今の世界はあるのだ。


日本は官僚国家である。
それは毎日同じ生活を続ける事により、安定を保ち続けるという思想である。
そういう教育が行われてきたから、今でも多くの日本人が日々の暮らしに困窮する。
蟹工船が読まれ、日本共産党の党員になる若者が増える。
しかし、それは非冒険族だからの行動ではないのだろうか?

自分を変えたければジムに行ってウエイトトレをすればいい、痛みや怪我で大きくなるんだ、実際体はデカくなるしな。w
楽しみたいのなら、好きなだけ稼いで自由に金を使いまくればいい。
社会構造を嘆く前に、自分の好きな事を精一杯すればいいんだ。
日々冒険をすればいいんだ。
蟹工船を読んだり、ネットカフェに閉じこもる前に自分をどんどん変えればいいんだ。
バイトから帰ってTV見て寝てTV見てバイトに行くってよ・・・・、お前はクズだろ、そんな事しかしないから蟹工船が光って見えてしまうんだ。


原油の高等を初め消費財の物価が上がり、家計を圧迫すると主婦が言う。
しかし、それは非冒険族だから言えるざれごとにしか思えない。
俺は親父の借金をかぶった時、毎月2万以外の収入を全て返済にまわした。
その2万円のうち1万でケータイとネットを払い、残った1万でタバコなどを買う。
そんな生活をしてても家計が苦しいと思った事は無い。
自分が背負った借金に対して闘っているんだからな、大きな借金には大きな利子が付く。
早く返すには自己を犠牲にしてでも、素早く返すしか方法は無いのだ。
家計が苦しいのならそれと闘えばいい。
何も買わずにどこにも遊びに行かなければ済むのに、自分の危機的状態を悲観するしか出来ないのは、自己を変化させる事の出来ない非冒険族だからだ。


非冒険者への批判ばかりで始終してしまったが、国ごとでも冒険族と非冒険族の割合は、そんなに変わらないだろうとも書いてあった。
問題なのは、日本では非冒険族が政府や官僚機構に多く、非冒険族は冒険族の行動を阻害するという事にある。
個人の責任を履き違え、社会的な責任を負わせようとするのが間違いなのだ。
俺は冒険に出る!
と言った者に対し、経験者が計画の無謀さを説くのはいい。
しかし、その冒険者の精神に対してまで、なぜ仕事もせずに冒険などするのだ?と言うのは大間違いなんだ。
社会の代弁者的な立場を取る人間は、自分の意見を社会的正義だからという根拠でのみ、正しいと断ずる。
そういう無知が駆逐される社会になっていけばいいと思う。
今の物価高、様々なひずみ、総中流の崩壊は、あるべきものを在るべきだと言える人を、増やすきっかけになればいいと思う。

いまは自己に向かうべきだ、自己の矛盾を見つめる時だ。
そういう個人の増えた社会は、これからの日本の経済的凋落を迎える社会をも、幸福な社会に変える事が出来るだろう。
昨夜の仕事で道を走っていると、片道二車線の道の両端に、アメ車20台ばかしズラッと停まっていた。
何のチームか知らんが、若者が何することも無く、道端に座りだべっている。
Gジムは23時間営業、ヒマなら体を動かせばスカッとするのに、車に依存しているから脳が退化して、お喋りしか出来なくなっているんだろう。
若いうちに楽しまないで人間を大きく出来ず、下らないオッサンになる奴等なのだろう。

朝になり家に帰るとき、軽バンにぴったり後ろに付かれた。
走行車線が空いているのに、わざわざ追い越し車線を走ってる原チャを、驚かせてやろうと思ったのだろう。
自分よりも弱い立場の原チャならば、いじめても大丈夫だし、スカッとすると思ったのだろう。
並んで顔を合わせた瞬間、メット越しにブチ切れて怒鳴りまくってる俺を見て、2、3秒のフリーズ後に慌てて目をそらし逃走して行った。
ビビる位なら初めからしなければいいのに・・・。
90km/hが限界のリード号には、軽自動車ですら韋駄天だから、まんまと逃がしたが。(泣
これが250ccクラスのバイクなら、いたぶってやったのに!と怒り心頭で家に着いた。


ガソリンの値上げで首都圏から渋滞が減っていると言う。
まだリッター200円にもなっていないのにこの調子では、この先車自体が少なくなるに違いない。
ガソリン価格は二度と下がらないからな。
実際、いままで車のランニングコストが安すぎたのだ。
いっちょ前に人を殺す事の出来る機械が、安月給のガキや肉体労働者に買えるのがおかしいのだ。
そういう社会的に不満を持ち、鬱憤のたまりやすいクズが、自分の感情をコントロール出来ずに暴走する。
歩いていて、100km以上出しているバイクと車を見て、車の方が恐ろしげに見えるのは、クルマにはとっさに逃げれない横幅があるからだ。
一人にタックルされても何とか横っ飛びで回避できるが、3人4人で道を塞がれたら一巻の終わりだからな。
そういう単純な理屈が判れば、車は人を轢くのに最適な道具であり、むやみに社会に氾濫させてはいけない物だと認識できる。

しかし、車は国家的な産業だし、ガソリンをいくら高くしても、運転手の仕事は無くならない。
前に話した事があるかもしれないが、アメリカでは大きい車の方が、余裕がある所を見せて先に行かせるらしい。
優位な方が譲るようになっているから、同じくらいの車同士だと、どちらも譲り合って引かずケンカのようになることもあるらしいが。(笑

日本はどうだろう、俺が!私が!で少しでも空いたら割り込んで前に出る。
自分の行動をせこくて小さいとは思わない、汚くても他者より優れる事が全てだからな。
幼い頃から人と比べられ、少しでも良い点をとるように教育されている弊害だ。
宗教的教育を受けない日本人の場合、学校教育がほとんど人格形成をしてしまうから、こんなザマに陥っても誰も救えない。


職場で休憩が終わると、最後まで椅子を立たない上司が居る。
そいつはみんなよりも遅く立つ事で、自分の方が無頼で偉く優位に立つと思っているのだろう。
しかし人と比較する事は、人を見なければならない事でもある。
順序や序列を重視する人間は、組織の中の位置づけを気にし続ける。
人が悪くなれば自分はより悪くなるし、ひとより上手くなればそこで満足してしまう。
全ての基準が自分では決められず、他人に振り回され続ける人生になってしまう。

あいつよりもイイ体になりたい!じゃなく、俺はどこまでデカくなれるのか?と思ったり。
みんなが立ってから俺も!ではなく、俺の時計で30分になったから立とう!でいいのだ。
あいつより上だ!と思えば、奴よりは下だ・・、とも思う事も出てきてしまう。

違うベクトルを持つ個人を認めない社会だから、歪んだ優劣という不幸を生むんだよ。
ただ、頑張るという力は力の方向が変わっても同じ、自分の好きな事には全力で打ち込まないとな。
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出発日決定! 2010.4/12
しょうたび!
正太郎の日本一周歩き旅
http://shoutabi.web.fc2.com/index.html

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