バイクや歩きで野宿旅、城めぐり 旅のためのアウトドア用品の購入やインプレッション ウエイトトレーニングで大きく健康的な体に! 脂肪だけ落とせる理論的なダイエット!とその実践
自作PCやソフト、ネット上の話題 などの趣味が中心のブログです。
読んでくれる皆が、初めて知る事を書いていきたい。
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今日は今年の冬の車旅を振り返ってみる。
こういうところに書いておかんと、俺自身が忘れちゃうしな。
1日目は歩きの道を辿りつつ、歩きなら1週間かかる坂本宿まで走った、高崎から30kmほど先の軽井沢手前にある碓氷峠のふもとの宿場だ。
で2日目の朝に起きたらこの状態。orz
ナビは付いててもスタッドレスではない、ここから幹線道路に出るまだけでも一苦労だった。
いきなり昼飯の画になるんだけど、小諸城の前の蕎麦屋での天ザル大盛り、これぞ本場の小諸蕎麦!
なんとか碓氷峠を越えて長野入りをしたんだけど、これで旧道(登山道)・旧舗装道路・バイパス道、と碓氷峠越えの道は完全攻略した事になる。
小諸から上田で曲がり塩田平に入り、盆地の突き当たりまで行くと別所温泉。
これは国宝の八角の塔、今では残っていること自体が珍しいらしい。
鎌倉幕府の北条さんが贔屓にしていたそうで、ここらまでは関東の武士政権の影響力があったんだよな、というより勢力圏の最前線だとすると、自然と経営に力を入れなきゃいけなかったのだろう。
3日目の朝は別所温泉の高台にあるため池のほとり。
この2日目の夜に酒を呑んでいたら、ふと後ろの斜面に人影が動いた、雪が残っていたから黒尽くめの人影が浮き上がって見えたんだ。
「どちらさん?」
と声をかけるとズルズル滑りながら高さ5mほどの雪の残る斜面を逃げ登っていく。
俺は人がいいのか自分が悪いと思い込んで、、
「ここで車中泊してもいいよねー?」「怪しいもんじゃないんだけどー」
と声をかけ続けていた、見た感じ小男のオッサンが消え去ってから、あれ?と気づいたけど後の祭りだ。
呑んで寝た後に小便で目を覚ましたら、駐車場の端にもう一台コンパクトカーが停まっていて、車がバコンバコンタテ揺れしてた。(爆
俺は耳栓して寝てるから気づかなかったんだけど、熱闘開催中だ。
尿意も解消し、コンパクトカーのカップルで覗き君の目的が判ったところで、これからも日本の隅っこ別所温泉で、いつまでも性欲旺盛な毎日であるように、3人とこの駐車場の平和を願い耳栓をして寝た。
起きたらまた雪が降って凍り窓を開けるのも一苦労、結露で寝袋はずぶ濡れだ。
そうそう、こんな感じでフトンを敷いた上に寝袋で寝ている。
レンタカーでここまでする奴は相当少ないに違いない、と自負するところ大だ。
マーチなのでメチャクチャ狭いです。w
独鈷山を仰ぐ中禅寺、一目で信仰の対称になる山だと思えるイイ形。
この中禅寺の薬師堂も平安~鎌倉期のもので、800年前の木造建築物。
長野県最古らしいが、薬師堂・薬師如来っていうのは、病を治してくれる仏教施設なんだよな。
日本の仏教信仰っていうのは古来(八百万)の神々に比べ、現世利益的なモノが多量にあるから急激に広まったんだけど、この信濃の国(長野県)最古の建物(仏教施設)として、それを象徴しているようで実に面白い。
それ以前の独鈷山が土地の神様で霊場化していた所に、鎌倉期の僧侶がやってきて寺を建てる、その時に成立したばかりの鎌倉幕府の実力者の力を借りたのかもしれない。
新しい幕府の時代が来た事で塩田平の人々が、独鈷山信仰からの脱却を考えたのかもしれない、鎌倉発の最新モードとしての仏教を憧れ、積極的に取り入れたのかもしれない。
これらは勝手な推測なんだけど、現場に来てその場所の空気を吸いながら、遠い昔の人々を想像して遊ぶのが、旅で一番楽しいことだ。
次は前山寺、中禅寺からここまでの1km位だったんだけど、斜面を通って行ったので除雪がされていなくて、一時スタックしてしまった。
マーチは車重もないし高回転型だからか、タイヤが空転を始めるとオシマイだ。
それ以前にスタッドレスじゃないのが間違いなんだけどさ。orz
たどり着いた前山寺からは塩田平が一望できる。
前山寺の三重塔、未完成なんだけど美しいというのが売りの珍しい塔だ。
それよりも融雪剤を撒きながら、「気をつけて歩いてください」と優しく気のいい寺男?さんを見て、こういう光景も今時珍しく、美しいと思った。
ここは上田城、観光地化していてるだけであまり面白い城ではない、平城だし。
真田氏の頃の遺構でも残っていればいいんだけどね。
上田では城の敷地内の歴史博物館・池波正太郎記念館・北国街道の柳町などを見て歩いた。
お昼はモチロン天ざる、車の旅はリッチ旅なのである。(笑
いきなり山梨に飛んだのは、雪の無い高崎まで退却しようと走っていたら、小諸の辺りで→韮崎の看板を見たから。
そういやココらに勢力のあった村上氏を武田信玄が攻めたのが、この佐久口からなんだよな。
甲府から真っ直ぐ北上すると、北信濃に出るのが佐久口(佐久平への道)。
北西に今の中央道・20号線を向かうと諏訪口・信濃中央部に出る。
俺は20号が好きで、関西以西に行く時はいつも通るんだけど、佐久道は全く通った事が無い。
既に夕闇に包まれ、清里の辺りではー10℃の電光掲示板が光っていたりと、かなり危ない道だったが、飛ばす地元の車に付いていく事だけを考えていたら2時間もしないで韮崎まで着いてしまった。
で、いつもの釜無川のほとりの駐車場で一泊。
4日目は20分ほど走って甲府まで出て、武田神社の裏山の要害山に登った。
ここは本丸で武田信玄が生まれた場所だ。
親父の武田信虎が今川の大軍との戦に出て、下手すりゃ負けるかもね、という時に生まれそうになったので、武田神社の位置にあった館から避難して信玄を生んだんだ。
登って判ったんだけど山城だけに、腹の大きなお母さんが登るにはちょっとしんどい、何ヶ月くらいで登ったのかな、輿とかだったのかな、などと想像をめぐらすのが楽しい。
本丸にある庭石の跡。
戦国期の大名の館では枯山水の庭を作るのが流行った。
こんな山城にまでブームの庭を造るんだから恐れ入る、ていうか武田家は甲斐源氏の棟梁で、戦国大名でもかなり血筋がいい。
雅な京文化を持っていて当然なんだけどね。
江戸期になると枯山水はあって当たり前の装置として、中級の武家屋敷ともセットになる程で、その源流にはこういった山の上の館にまで風雅を求めた、大名・権力者の文化があるんだろう。
その後は武田神社に寄り、20号を下道で千葉まで帰った。
歩き旅のリベンジのはずが雪にたたられ、新潟どころか軽井沢から数十キロの長野市にすら届かなかった。(泣
心まで折られたロコンは、次の夏旅は新潟以外に行こうと決意したのであった。
こういうところに書いておかんと、俺自身が忘れちゃうしな。
1日目は歩きの道を辿りつつ、歩きなら1週間かかる坂本宿まで走った、高崎から30kmほど先の軽井沢手前にある碓氷峠のふもとの宿場だ。
で2日目の朝に起きたらこの状態。orz
ナビは付いててもスタッドレスではない、ここから幹線道路に出るまだけでも一苦労だった。
いきなり昼飯の画になるんだけど、小諸城の前の蕎麦屋での天ザル大盛り、これぞ本場の小諸蕎麦!
なんとか碓氷峠を越えて長野入りをしたんだけど、これで旧道(登山道)・旧舗装道路・バイパス道、と碓氷峠越えの道は完全攻略した事になる。
小諸から上田で曲がり塩田平に入り、盆地の突き当たりまで行くと別所温泉。
これは国宝の八角の塔、今では残っていること自体が珍しいらしい。
鎌倉幕府の北条さんが贔屓にしていたそうで、ここらまでは関東の武士政権の影響力があったんだよな、というより勢力圏の最前線だとすると、自然と経営に力を入れなきゃいけなかったのだろう。
3日目の朝は別所温泉の高台にあるため池のほとり。
この2日目の夜に酒を呑んでいたら、ふと後ろの斜面に人影が動いた、雪が残っていたから黒尽くめの人影が浮き上がって見えたんだ。
「どちらさん?」
と声をかけるとズルズル滑りながら高さ5mほどの雪の残る斜面を逃げ登っていく。
俺は人がいいのか自分が悪いと思い込んで、、
「ここで車中泊してもいいよねー?」「怪しいもんじゃないんだけどー」
と声をかけ続けていた、見た感じ小男のオッサンが消え去ってから、あれ?と気づいたけど後の祭りだ。
呑んで寝た後に小便で目を覚ましたら、駐車場の端にもう一台コンパクトカーが停まっていて、車がバコンバコンタテ揺れしてた。(爆
俺は耳栓して寝てるから気づかなかったんだけど、熱闘開催中だ。
尿意も解消し、コンパクトカーのカップルで覗き君の目的が判ったところで、これからも日本の隅っこ別所温泉で、いつまでも性欲旺盛な毎日であるように、3人とこの駐車場の平和を願い耳栓をして寝た。
起きたらまた雪が降って凍り窓を開けるのも一苦労、結露で寝袋はずぶ濡れだ。
そうそう、こんな感じでフトンを敷いた上に寝袋で寝ている。
レンタカーでここまでする奴は相当少ないに違いない、と自負するところ大だ。
マーチなのでメチャクチャ狭いです。w
独鈷山を仰ぐ中禅寺、一目で信仰の対称になる山だと思えるイイ形。
この中禅寺の薬師堂も平安~鎌倉期のもので、800年前の木造建築物。
長野県最古らしいが、薬師堂・薬師如来っていうのは、病を治してくれる仏教施設なんだよな。
日本の仏教信仰っていうのは古来(八百万)の神々に比べ、現世利益的なモノが多量にあるから急激に広まったんだけど、この信濃の国(長野県)最古の建物(仏教施設)として、それを象徴しているようで実に面白い。
それ以前の独鈷山が土地の神様で霊場化していた所に、鎌倉期の僧侶がやってきて寺を建てる、その時に成立したばかりの鎌倉幕府の実力者の力を借りたのかもしれない。
新しい幕府の時代が来た事で塩田平の人々が、独鈷山信仰からの脱却を考えたのかもしれない、鎌倉発の最新モードとしての仏教を憧れ、積極的に取り入れたのかもしれない。
これらは勝手な推測なんだけど、現場に来てその場所の空気を吸いながら、遠い昔の人々を想像して遊ぶのが、旅で一番楽しいことだ。
次は前山寺、中禅寺からここまでの1km位だったんだけど、斜面を通って行ったので除雪がされていなくて、一時スタックしてしまった。
マーチは車重もないし高回転型だからか、タイヤが空転を始めるとオシマイだ。
それ以前にスタッドレスじゃないのが間違いなんだけどさ。orz
たどり着いた前山寺からは塩田平が一望できる。
前山寺の三重塔、未完成なんだけど美しいというのが売りの珍しい塔だ。
それよりも融雪剤を撒きながら、「気をつけて歩いてください」と優しく気のいい寺男?さんを見て、こういう光景も今時珍しく、美しいと思った。
ここは上田城、観光地化していてるだけであまり面白い城ではない、平城だし。
真田氏の頃の遺構でも残っていればいいんだけどね。
上田では城の敷地内の歴史博物館・池波正太郎記念館・北国街道の柳町などを見て歩いた。
お昼はモチロン天ざる、車の旅はリッチ旅なのである。(笑
いきなり山梨に飛んだのは、雪の無い高崎まで退却しようと走っていたら、小諸の辺りで→韮崎の看板を見たから。
そういやココらに勢力のあった村上氏を武田信玄が攻めたのが、この佐久口からなんだよな。
甲府から真っ直ぐ北上すると、北信濃に出るのが佐久口(佐久平への道)。
北西に今の中央道・20号線を向かうと諏訪口・信濃中央部に出る。
俺は20号が好きで、関西以西に行く時はいつも通るんだけど、佐久道は全く通った事が無い。
既に夕闇に包まれ、清里の辺りではー10℃の電光掲示板が光っていたりと、かなり危ない道だったが、飛ばす地元の車に付いていく事だけを考えていたら2時間もしないで韮崎まで着いてしまった。
で、いつもの釜無川のほとりの駐車場で一泊。
4日目は20分ほど走って甲府まで出て、武田神社の裏山の要害山に登った。
ここは本丸で武田信玄が生まれた場所だ。
親父の武田信虎が今川の大軍との戦に出て、下手すりゃ負けるかもね、という時に生まれそうになったので、武田神社の位置にあった館から避難して信玄を生んだんだ。
登って判ったんだけど山城だけに、腹の大きなお母さんが登るにはちょっとしんどい、何ヶ月くらいで登ったのかな、輿とかだったのかな、などと想像をめぐらすのが楽しい。
本丸にある庭石の跡。
戦国期の大名の館では枯山水の庭を作るのが流行った。
こんな山城にまでブームの庭を造るんだから恐れ入る、ていうか武田家は甲斐源氏の棟梁で、戦国大名でもかなり血筋がいい。
雅な京文化を持っていて当然なんだけどね。
江戸期になると枯山水はあって当たり前の装置として、中級の武家屋敷ともセットになる程で、その源流にはこういった山の上の館にまで風雅を求めた、大名・権力者の文化があるんだろう。
その後は武田神社に寄り、20号を下道で千葉まで帰った。
歩き旅のリベンジのはずが雪にたたられ、新潟どころか軽井沢から数十キロの長野市にすら届かなかった。(泣
心まで折られたロコンは、次の夏旅は新潟以外に行こうと決意したのであった。
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この冬は旅日記は書かないことにする。
ただ、内容の報告はしておかんとね。
まず距離。
9.13km
30.42km
38.23km
18.64km
20.26km
29.56km
16.17km
以上で7日間分だ、合計162.41km。
初日と最終日は半日づつと見れば、実質6日で割ると1日平均27.06km。
夏に比べると冬はかなり歩きやすいので、こういった距離に出たが、もちろん足を破壊する距離だ。
今回は初日からデジカメを忘れ、30分時間歩いた道を引き返し、更に2日目にダウンの上着を忘れた事に気づき、松戸駅まで行ってユニクロでフリースを買うなど、酷い準備状況だった。
(ユニクロはすでに春物しか無く、フリースになってしまった。
これは仕事や日常で兼用している道具がある為と、ネットゲームにうつつを抜かしすぎて、それ以外がおろそかになっていたからだ。
去年の冬に剥離して使い物にならなくなったモンベルのU.L.コンフォートシステムパッド150 なんだけど、今回は息を吹きつける口のところから剥離してきやがった。
これは3日目にホームセンターで3Mのダクトテープで補修する事になった、このテープは強力&使いやすくてでおなじみなもので、高いのだけが難点だがかなり使える。
最初の1枚はマットの上にコッヘルを乗せたからだから仕方が無いけど、今回は気をつけて使っていたからショックだった、いまモンベルに電話したら店に持ってくるか、送ってくれとの事なので、明日にでも持っていこうと思う。
ただ、日本一周を考えると、膨らまないタイプじゃないと、強度的にもたない気もする。
エアの快適さと、小さくたためる携帯性を考えると、これが一番なんだけどね。
そういや、ランナー氏の休みと合わせて高崎で呑む事になったから、4.5日目はかなり歩行距離が少なくなっている。
途中の館林から伊勢崎までの40kmほどを、時間の関係で電車でスルーしたんだ。
5日目はいつもの東横イン高崎禁煙館、3時からのチェックインとか、ネット予約した日曜日には30%オフなどに釣られて、¥1500のカードを作った。
なぜか東横インしか泊まらないし、これからPCを持ち歩けば、ネット予約もバンバン使えるからな。
高崎から30km近く歩いた6日目。
これは頑張って横川を抜けた坂本宿まで行った、が、この時にはアキレス腱が痛くてたまらなかった。
焦りだけに動かされると、ついつい距離を伸ばしてしまうのかもしれない。
最終日は朝起きて便所に向かうだけで、アキレス腱が悲鳴をあげていた。
でも、横川に帰るのも癪だし、そこから高崎に出て新幹線という手間考えると、碓氷峠を越えて軽井沢で終りにしようと思った。
今回は最初からしがらみとか日常の問題が多すぎた。
旅ってそういう所からの逃避であるんだけど、引きずられちゃうんだよな。
次からは準備を怠らない事、歩きの距離にはこだわらない事、時間や外見を気にせずにその瞬間に快適な恰好に着替えること。
今回は本当に勉強になった。
ただ、内容の報告はしておかんとね。
まず距離。
9.13km
30.42km
38.23km
18.64km
20.26km
29.56km
16.17km
以上で7日間分だ、合計162.41km。
初日と最終日は半日づつと見れば、実質6日で割ると1日平均27.06km。
夏に比べると冬はかなり歩きやすいので、こういった距離に出たが、もちろん足を破壊する距離だ。
今回は初日からデジカメを忘れ、30分時間歩いた道を引き返し、更に2日目にダウンの上着を忘れた事に気づき、松戸駅まで行ってユニクロでフリースを買うなど、酷い準備状況だった。
(ユニクロはすでに春物しか無く、フリースになってしまった。
これは仕事や日常で兼用している道具がある為と、ネットゲームにうつつを抜かしすぎて、それ以外がおろそかになっていたからだ。
去年の冬に剥離して使い物にならなくなったモンベルのU.L.コンフォートシステムパッド150 なんだけど、今回は息を吹きつける口のところから剥離してきやがった。
これは3日目にホームセンターで3Mのダクトテープで補修する事になった、このテープは強力&使いやすくてでおなじみなもので、高いのだけが難点だがかなり使える。
最初の1枚はマットの上にコッヘルを乗せたからだから仕方が無いけど、今回は気をつけて使っていたからショックだった、いまモンベルに電話したら店に持ってくるか、送ってくれとの事なので、明日にでも持っていこうと思う。
ただ、日本一周を考えると、膨らまないタイプじゃないと、強度的にもたない気もする。
エアの快適さと、小さくたためる携帯性を考えると、これが一番なんだけどね。
そういや、ランナー氏の休みと合わせて高崎で呑む事になったから、4.5日目はかなり歩行距離が少なくなっている。
途中の館林から伊勢崎までの40kmほどを、時間の関係で電車でスルーしたんだ。
5日目はいつもの東横イン高崎禁煙館、3時からのチェックインとか、ネット予約した日曜日には30%オフなどに釣られて、¥1500のカードを作った。
なぜか東横インしか泊まらないし、これからPCを持ち歩けば、ネット予約もバンバン使えるからな。
高崎から30km近く歩いた6日目。
これは頑張って横川を抜けた坂本宿まで行った、が、この時にはアキレス腱が痛くてたまらなかった。
焦りだけに動かされると、ついつい距離を伸ばしてしまうのかもしれない。
最終日は朝起きて便所に向かうだけで、アキレス腱が悲鳴をあげていた。
でも、横川に帰るのも癪だし、そこから高崎に出て新幹線という手間考えると、碓氷峠を越えて軽井沢で終りにしようと思った。
今回は最初からしがらみとか日常の問題が多すぎた。
旅ってそういう所からの逃避であるんだけど、引きずられちゃうんだよな。
次からは準備を怠らない事、歩きの距離にはこだわらない事、時間や外見を気にせずにその瞬間に快適な恰好に着替えること。
今回は本当に勉強になった。
あらましだけ最初に話しておくよ。
帰ってきたのは2月14日。
8日からだから7日間のショートトリップだった。
今回も軽井沢で撃沈したんだけど、原因は股ズレと右アキレス腱の腫れだ。
最初の3日位までゴアズボンの下に、中綿パンツとロングタイツを履いていたんだ。
で、3日目に夜までかかって38kmも歩いてしまった時、股から尻まで左右が接している部分が、ケロイドのように剥けてしまったんだ。
尻部分は腫れだけだったのか、薬ですぐに治ったんだけど、股は皮が無くなってしまい治らなかったんだ。
特に左の脚の付け根がやばかったので、それをかばうのか、次の日から右足のアキレス腱に、負荷が集中したらしい。
これは暑いのに中綿ズボンを脱がなかったのが原因だ。
暑いからゴアズボンも中綿パンツも、脚の両サイドにあるチャックを全開にしていたんだけど、腰まで開けられる訳ではない。
歩ききった「いちの湯」で服を脱いだら、水を溜めない素材のタイツまでびしょ濡れだったから、相当酷い状態で放置していた事になる。
旅の初めはどうしても切り替えが上手くいかない。
好きにすればいいのに、会社員の癖なのか耐えてしまう。
もちろん外見を気にするような心境もかなり残っている。
それなのに、変なところを無茶するからたちが悪い。
他にもブーツの横幅はかなり狭かった。
帰って2日ほど経ったが、足の指の付け根が左右とも痛む。
横幅が狭い靴の中で足先が丸まったままだったので、足裏のアーチが傷んだらしい。
0.5cmアップではなく、1cmアップの27.5cmにした方が良かった。
イロイロ問題点はあるが、こういった不具合が出るから事前の旅が必要なんだと思う。
その点、今回も有意義であった。
ただ長期旅行を期待していた読者のみんなは、がっかりしただろう。
ネタが少ないのもつまらないだろうから、19日~22日までの4泊でレンタカーを借りておいた。
これで長野方面へのリベンジをしようと思う。
更新はその後にするつもりなので、しばしお待ちあれ。
それじゃ。
帰ってきたのは2月14日。
8日からだから7日間のショートトリップだった。
今回も軽井沢で撃沈したんだけど、原因は股ズレと右アキレス腱の腫れだ。
最初の3日位までゴアズボンの下に、中綿パンツとロングタイツを履いていたんだ。
で、3日目に夜までかかって38kmも歩いてしまった時、股から尻まで左右が接している部分が、ケロイドのように剥けてしまったんだ。
尻部分は腫れだけだったのか、薬ですぐに治ったんだけど、股は皮が無くなってしまい治らなかったんだ。
特に左の脚の付け根がやばかったので、それをかばうのか、次の日から右足のアキレス腱に、負荷が集中したらしい。
これは暑いのに中綿ズボンを脱がなかったのが原因だ。
暑いからゴアズボンも中綿パンツも、脚の両サイドにあるチャックを全開にしていたんだけど、腰まで開けられる訳ではない。
歩ききった「いちの湯」で服を脱いだら、水を溜めない素材のタイツまでびしょ濡れだったから、相当酷い状態で放置していた事になる。
旅の初めはどうしても切り替えが上手くいかない。
好きにすればいいのに、会社員の癖なのか耐えてしまう。
もちろん外見を気にするような心境もかなり残っている。
それなのに、変なところを無茶するからたちが悪い。
他にもブーツの横幅はかなり狭かった。
帰って2日ほど経ったが、足の指の付け根が左右とも痛む。
横幅が狭い靴の中で足先が丸まったままだったので、足裏のアーチが傷んだらしい。
0.5cmアップではなく、1cmアップの27.5cmにした方が良かった。
イロイロ問題点はあるが、こういった不具合が出るから事前の旅が必要なんだと思う。
その点、今回も有意義であった。
ただ長期旅行を期待していた読者のみんなは、がっかりしただろう。
ネタが少ないのもつまらないだろうから、19日~22日までの4泊でレンタカーを借りておいた。
これで長野方面へのリベンジをしようと思う。
更新はその後にするつもりなので、しばしお待ちあれ。
それじゃ。
2月2日・12:00
ギャップの20Lくらいのザックに、フリースや中綿のズボン、帽子に手袋などの小物を詰め、地下鉄で秋葉原に向かう。
アキバに着いて地上に出たすぐのヨドバシアキバに入り、お目当てのVAIO・typePを見る。
w.vaio.sony.co.jp/Products/P1/index.html?s=jp_bn_vaiotop_typep
実はもう買っちゃったんだけど、この時点では思案中。
1.33GhzのAtomが遅いと感じ、でも小ささはハンパ無い。
L(大容量)バッテリーで9時間駆動。
いつものごとくメモ帳機能を出して、あーだのこーだのを書き込みながら、キーボードチェックをするが、小さすぎるものの書けない事は無い、慣れが肝心だと思い込む。
山の道具のように強度や軽さを追求して、大きさからくる使い勝手を犠牲にするという思考でいけば、これは当然のスペックである。
13:00
アキバを脱出する時間だ、ネージュウォーカーの靴紐を締めなおす。
ココからが今日の本番、家まで歩いて帰るのだ。
アキバを出て5分の岩本町の交差点のデイリーで、ヤキソバパンとアクエリアスを買い腹ごしらえ。
靖国通りを千葉方面に下っていく。
30分ほどで両国橋にさしかかる。
ここらは高校生1年の頃、暇でしょうがないから歩き通勤してた道だ。
御茶ノ水の学校なのに両国で電車を下り、1時間弱かけて歩いていた。
なんでそうしたのか訳判らんけど、その頃の俺がしたいことだったんだろう。
回向院を越え、ライオン堂の交差点で右折し清澄通りに入る。
10分ほど南下し新大橋通りに出たら、東に向い千葉方面に下る。
これが行徳に来てからのメインルートだ、バイクや車でいつも通る道だ。
14:00
菊川駅前にさしかかる、都営新宿線だな。
疲れて電車を使おうにも、行徳まで一本で帰れないから乗る気にならない。
ナイスな道の選択である。
猿江恩賜公園という名前を初めて知る、いつも前を通っているのに知らないことばかりだ。
15:00
荒川の橋の上を歩く。
段々と曇ってきて風も出てきた。
この辺りから道が広くなり、人も少なくなって歩きやすくなる。
やっぱ東京は異常だよ、旅先では歩行者が群れてるなんてほとんど無い。
16:00
千葉県に入ったところが行徳島(浦安島?)。
今井橋のレーシングワールドというバイクパーツ屋で、2stオイルを2本買う。
1本で1300kmくらいは持つから、旅まではオイルを買わなくて済む、ていうか今後2stバイクに乗る事は無いはずだから、最後の2stオイルだ。
なんかしみじみだ。
16:40
家の前の100均で酒のつまみを買って帰宅!
最後に今回のルート、地図上で14.9kmだった。
今回の歩きでは、一回も靴を脱がず靴下を乾かさずに歩いてみた。
左足の外側が窮屈ですれたのか痛いのと、靴の中で左足が前にずれるのか指の甲が痛いけど、どちらもマメまでには至っていない。
次の日は何とも無かったので、皮は平気だったんだろう。
ただ、荷重した常態での歩きでは負担が増すので、2時間程度で足休めはしなきゃいけないと思う。
先々週に歩いた時よりも確実に足は楽になっている。
やはり歩きは歩きでしかトレーニングできないのだろう。
帰ってきてからのトレに、歩きも入れようか考え中だ。
週3のウエイトトレと、週1の歩きを組み合わせれば、なんとかなりそうな気がする、週4では辛いトレも3回に固定すれば継続しやすいだろうし。
いつもの道でも歩きにするだけで全然違うよ。
ギャップの20Lくらいのザックに、フリースや中綿のズボン、帽子に手袋などの小物を詰め、地下鉄で秋葉原に向かう。
アキバに着いて地上に出たすぐのヨドバシアキバに入り、お目当てのVAIO・typePを見る。
w.vaio.sony.co.jp/Products/P1/index.html?s=jp_bn_vaiotop_typep
実はもう買っちゃったんだけど、この時点では思案中。
1.33GhzのAtomが遅いと感じ、でも小ささはハンパ無い。
L(大容量)バッテリーで9時間駆動。
いつものごとくメモ帳機能を出して、あーだのこーだのを書き込みながら、キーボードチェックをするが、小さすぎるものの書けない事は無い、慣れが肝心だと思い込む。
山の道具のように強度や軽さを追求して、大きさからくる使い勝手を犠牲にするという思考でいけば、これは当然のスペックである。
13:00
アキバを脱出する時間だ、ネージュウォーカーの靴紐を締めなおす。
ココからが今日の本番、家まで歩いて帰るのだ。
アキバを出て5分の岩本町の交差点のデイリーで、ヤキソバパンとアクエリアスを買い腹ごしらえ。
靖国通りを千葉方面に下っていく。
30分ほどで両国橋にさしかかる。
ここらは高校生1年の頃、暇でしょうがないから歩き通勤してた道だ。
御茶ノ水の学校なのに両国で電車を下り、1時間弱かけて歩いていた。
なんでそうしたのか訳判らんけど、その頃の俺がしたいことだったんだろう。
回向院を越え、ライオン堂の交差点で右折し清澄通りに入る。
10分ほど南下し新大橋通りに出たら、東に向い千葉方面に下る。
これが行徳に来てからのメインルートだ、バイクや車でいつも通る道だ。
14:00
菊川駅前にさしかかる、都営新宿線だな。
疲れて電車を使おうにも、行徳まで一本で帰れないから乗る気にならない。
ナイスな道の選択である。
猿江恩賜公園という名前を初めて知る、いつも前を通っているのに知らないことばかりだ。
15:00
荒川の橋の上を歩く。
段々と曇ってきて風も出てきた。
この辺りから道が広くなり、人も少なくなって歩きやすくなる。
やっぱ東京は異常だよ、旅先では歩行者が群れてるなんてほとんど無い。
16:00
千葉県に入ったところが行徳島(浦安島?)。
今井橋のレーシングワールドというバイクパーツ屋で、2stオイルを2本買う。
1本で1300kmくらいは持つから、旅まではオイルを買わなくて済む、ていうか今後2stバイクに乗る事は無いはずだから、最後の2stオイルだ。
なんかしみじみだ。
16:40
家の前の100均で酒のつまみを買って帰宅!
最後に今回のルート、地図上で14.9kmだった。
今回の歩きでは、一回も靴を脱がず靴下を乾かさずに歩いてみた。
左足の外側が窮屈ですれたのか痛いのと、靴の中で左足が前にずれるのか指の甲が痛いけど、どちらもマメまでには至っていない。
次の日は何とも無かったので、皮は平気だったんだろう。
ただ、荷重した常態での歩きでは負担が増すので、2時間程度で足休めはしなきゃいけないと思う。
先々週に歩いた時よりも確実に足は楽になっている。
やはり歩きは歩きでしかトレーニングできないのだろう。
帰ってきてからのトレに、歩きも入れようか考え中だ。
週3のウエイトトレと、週1の歩きを組み合わせれば、なんとかなりそうな気がする、週4では辛いトレも3回に固定すれば継続しやすいだろうし。
いつもの道でも歩きにするだけで全然違うよ。
今日も起きると二日酔いが少し残っていたのでジムを休む。
俺はこのままダメ人間になってしまうのだろうか!
そうはさせじと、ネージュウォーカーの慣らしを兼ねて歩いてみた。
買ってきたキレイな状態で、まずはSRスプレーを吹く。
これは撥水コートで、ゴアなどの防水素材でも、撥水力があれば水が乗る事も減り、より防水の効果が高まるので、必ず吹いておく。
少し濡れるくらいで2回、時間をおいて吹いておいた。
黒いゴムの部分にコート剤が残るのか、白っぽく色が付いてしまったが、使ってるうちに剥がれるであろう。
9時半に家を出て目的地まで1時間半で到着し折り返し、11時半に公園で靴を脱いでマメを確かめる。
すると、汗で濡れた感じすら無い、湿ってるとも感じないくらいだ。
ハイカットの防水ブーツでこれは上出来じゃないだろうか。
今日は暖かくて、NIKE Proの長袖シャツにNIKEのパーカー、下は普通のジーンズなんだけど、このくらいの気温でも蒸れないなら、冬場のマメはほとんど心配要らないと思う。
靴下を厚めのものにしているので、ショックがかなり軽減されている。
靴下のボリュームで靴の中を埋めているので、ホールド感がきつくないのにズレないのもいいい。
やはり登山靴には厚手の靴下なんだな。
3時間かけて家に着いた。
14.4kmを歩いたので時速4.8kmでの歩行だ。
荷を背負えば4km以下に落ちるだろうけど、疲労感があまり無いのがいい。
ただ、両足首の外側の腱やスネの筋肉に軽い痛みが出た、これは日頃使わない歩き筋を使うからだろう。
通常のウエイトトレだけでは、歩きの全てが向上する訳ではないのだな。
今回は登山靴をアスファルトで使う場合の限界を知る為の歩きだった。
ハイペースで歩く場合は疲労も足への負担も大きくなる。
今年の冬旅はちょっとスローに歩いた方がいいはずだ。
俺はこのままダメ人間になってしまうのだろうか!
そうはさせじと、ネージュウォーカーの慣らしを兼ねて歩いてみた。
買ってきたキレイな状態で、まずはSRスプレーを吹く。
これは撥水コートで、ゴアなどの防水素材でも、撥水力があれば水が乗る事も減り、より防水の効果が高まるので、必ず吹いておく。
少し濡れるくらいで2回、時間をおいて吹いておいた。
黒いゴムの部分にコート剤が残るのか、白っぽく色が付いてしまったが、使ってるうちに剥がれるであろう。
9時半に家を出て目的地まで1時間半で到着し折り返し、11時半に公園で靴を脱いでマメを確かめる。
すると、汗で濡れた感じすら無い、湿ってるとも感じないくらいだ。
ハイカットの防水ブーツでこれは上出来じゃないだろうか。
今日は暖かくて、NIKE Proの長袖シャツにNIKEのパーカー、下は普通のジーンズなんだけど、このくらいの気温でも蒸れないなら、冬場のマメはほとんど心配要らないと思う。
靴下を厚めのものにしているので、ショックがかなり軽減されている。
靴下のボリュームで靴の中を埋めているので、ホールド感がきつくないのにズレないのもいいい。
やはり登山靴には厚手の靴下なんだな。
3時間かけて家に着いた。
14.4kmを歩いたので時速4.8kmでの歩行だ。
荷を背負えば4km以下に落ちるだろうけど、疲労感があまり無いのがいい。
ただ、両足首の外側の腱やスネの筋肉に軽い痛みが出た、これは日頃使わない歩き筋を使うからだろう。
通常のウエイトトレだけでは、歩きの全てが向上する訳ではないのだな。
今回は登山靴をアスファルトで使う場合の限界を知る為の歩きだった。
ハイペースで歩く場合は疲労も足への負担も大きくなる。
今年の冬旅はちょっとスローに歩いた方がいいはずだ。
何とはなしに起きた、釜無川のほとり。
さて、今日は身延山を目指すのが本題。
とりあえず、釜無川を南下する、この際河で遊んだ俺の思い出んなんぞ、屁のツッパリでもあるまい。
一時間以上も竜王の集落を歩き回った俺の想いなぞ、公文書には残らんのだ。
朝から20号のメチャクチャな渋滞を見せられつつ歩いた龍王町、かなりがっかりした。
もちろん、過去の思い出どおりの道,は残っているが、全ては違う町。
かなりの写真を撮ったが、妹への土産にしかならなかったのが残念だ。
しかし、信玄堤の威容は収めたぞ、。
でも、ここも亀岩とかあった昔は過ぎ去り、ただの川原に成り下がっておった。
ガキの頃は、亀岩のほとりで金魚のエサをたらしたもんだ。
ガキならではの、アフォな行動なんだろうけど、それが正当な挑戦だとも言える。
昔話にあったコジキの家らしき場所は収めたけどな、多分釣り師の遺構だろうけど。
俺らはコジキを恐れていたし、そういう人外の存在が認めらられる社会だったと思う。
そういった異界のはなしが存在したのが、20年前の龍王町だったんだ。
今では甲斐市になっちゃてるけど・・・。
↓は俺が居た頃に出来た親水公園、キレイになってます。
南アルプスの秀麗な山並みを見つつ、竜王の集落を歩く。
そこは、悲しくなるくらい甲府市の属州になった姿だった。
竜王北小学校に向かい、釜無川に向かう1時間ほどの歩きで、なんだか世代の隔絶を感じてしまった。
俺の過去はココには無いんだ。
そういう空しさである。
ただ、8時の登校時間であったので、懐かしき集団登校の子供達に会えた事には感謝である。
小5になる際に、前の家の小6の班長から渡された旗と笛、この重圧感を思い出し、
「おはようがざいます。」
と、見知らぬ俺に、声かけてくれる、リーダー役の児童に。
「おはよございます!」
とこたえつつ、あいさつの重さ、人と人のつながりを考えさせられる、早朝であった。
そのまま竜王の集落を横切り、川原の駐車場に戻り、コンビニで買った飯を食らう。
ひと心地ついて、南下する行動を取る。
釜無川を沿って宮田町方面に向かった、これは10歳の頃の俺の冒険の道のりでもある。
ただ、30を前にした大人の前には、ただの河川敷にしかならなかったようだ。
そのまま身延へと南下を続ける。
途中9;:45
かじかの湯を発見するも、11時から営業のようだ。
3kmも脇にそれたのに、営業中の看板で迎えるのは悪質だ!
プンプンしながら身延を目指す。
10:30
52号を南下してると、公共の温泉らしい看板が見えた。
そのまま天竜川を渡り3分ほど、六郷の里つむぎの湯に車を停めた。
ここは公共の湯らしく、町外からでも3時間¥400で風呂に入れる。
時間を忘れてノンビリしたんだけど、ホントにここはオススメ。
露天もサイコーだし、あんまり人もいないから体も洗い放題、しかも安いからぜひ行ってみてほしい。
温泉につかり、温まったところで身延山に向かう。
ここは日蓮宗の総本山、ガキの頃に来て以来のオドロオドロシイ場所だ。
しかしながら、駐車場も完備されて、天上の楽園的な山にも車で登れるご時世。
一番上の駐車場に車を停め、極楽散歩と相成った。
とりあえず、隅から隅まで歩き回ってしまった。
すれ違う僧侶の方々も、「ご苦労様です」とか、「こんにちわー」とか妙に「フレンドリーである。
まさかロコンの坊主頭が、効いてるのか?
これこそ俺のふてぶてしさなのかも。(笑
ただ庭の美しさにビックラこいてよ、こんな山の中にと考えたら、動けなくなってしまった・・・。
旧書院での呆けた時間は、素晴らしく贅沢だ。
山を下りつ日蓮さんの墓と草庵跡で、日蓮宗マニアのオッサンの言い争いなどを聞きつつ、空念仏どもめ!
と、ありもしない信仰心を高ぶらせたりしたのでもであった。
身延山には俺のベストプレイスが、数多くあったので、もう一回訪れてみたい場所である。
駐車場で¥500を払い、一路東京を目指す。
その後は本栖湖をかすめつつ、富士山を目の前に見ながら東上した。
途中の「道の駅しもべ」で、ソバを食うも、大盛りが無いらしく、セットで頼んだ。
が、コレが当たりで、「長芋月見かん」がえらく旨かった。
右下のやつね、もう少しワサビは少なめでいい、と思った。
が、こういう創作料理が地域の活性につながるんだ。
そのまま本栖湖のヘアピンコーナーをダンプカーの後ろでアクビしつつ、樹海の真ん中をいつまでも続く紅葉にうんざりしながら通り抜ける。
そのまま河口湖から中央高速に乗って、東京に向かった。
途中の談合坂で10Lだけ給油、スーパーアメリカン(ドック)をコーヒーで流しこむ、これはお約束。w
中央道の追い越し車線を走る走る。
で、そのま首都高に入る。
なんとなく、暗い時間帯のレインボーを見たかったので、首都高にした訳です。
下道だと1国まででたりとか面相だからね。
午後8時のリミットのレンタカーを5時くらいに返して、今回のドライブは終了したのでした。
最後の給油では20L、計30Lで420kmのドライブでありました。
次の日はトレに起きれない程疲れたんだけど、2日で2万は飛んでんだよね・・・。
日本一周までにあと1回くらいはしてもいいかな?という規格外のドライブでした。^^
楽しかったけど疲れたー。
さて、今日は身延山を目指すのが本題。
とりあえず、釜無川を南下する、この際河で遊んだ俺の思い出んなんぞ、屁のツッパリでもあるまい。
一時間以上も竜王の集落を歩き回った俺の想いなぞ、公文書には残らんのだ。
朝から20号のメチャクチャな渋滞を見せられつつ歩いた龍王町、かなりがっかりした。
もちろん、過去の思い出どおりの道,は残っているが、全ては違う町。
かなりの写真を撮ったが、妹への土産にしかならなかったのが残念だ。
しかし、信玄堤の威容は収めたぞ、。
でも、ここも亀岩とかあった昔は過ぎ去り、ただの川原に成り下がっておった。
ガキの頃は、亀岩のほとりで金魚のエサをたらしたもんだ。
ガキならではの、アフォな行動なんだろうけど、それが正当な挑戦だとも言える。
昔話にあったコジキの家らしき場所は収めたけどな、多分釣り師の遺構だろうけど。
俺らはコジキを恐れていたし、そういう人外の存在が認めらられる社会だったと思う。
そういった異界のはなしが存在したのが、20年前の龍王町だったんだ。
今では甲斐市になっちゃてるけど・・・。
↓は俺が居た頃に出来た親水公園、キレイになってます。
南アルプスの秀麗な山並みを見つつ、竜王の集落を歩く。
そこは、悲しくなるくらい甲府市の属州になった姿だった。
竜王北小学校に向かい、釜無川に向かう1時間ほどの歩きで、なんだか世代の隔絶を感じてしまった。
俺の過去はココには無いんだ。
そういう空しさである。
ただ、8時の登校時間であったので、懐かしき集団登校の子供達に会えた事には感謝である。
小5になる際に、前の家の小6の班長から渡された旗と笛、この重圧感を思い出し、
「おはようがざいます。」
と、見知らぬ俺に、声かけてくれる、リーダー役の児童に。
「おはよございます!」
とこたえつつ、あいさつの重さ、人と人のつながりを考えさせられる、早朝であった。
そのまま竜王の集落を横切り、川原の駐車場に戻り、コンビニで買った飯を食らう。
ひと心地ついて、南下する行動を取る。
釜無川を沿って宮田町方面に向かった、これは10歳の頃の俺の冒険の道のりでもある。
ただ、30を前にした大人の前には、ただの河川敷にしかならなかったようだ。
そのまま身延へと南下を続ける。
途中9;:45
かじかの湯を発見するも、11時から営業のようだ。
3kmも脇にそれたのに、営業中の看板で迎えるのは悪質だ!
プンプンしながら身延を目指す。
10:30
52号を南下してると、公共の温泉らしい看板が見えた。
そのまま天竜川を渡り3分ほど、六郷の里つむぎの湯に車を停めた。
ここは公共の湯らしく、町外からでも3時間¥400で風呂に入れる。
時間を忘れてノンビリしたんだけど、ホントにここはオススメ。
露天もサイコーだし、あんまり人もいないから体も洗い放題、しかも安いからぜひ行ってみてほしい。
温泉につかり、温まったところで身延山に向かう。
ここは日蓮宗の総本山、ガキの頃に来て以来のオドロオドロシイ場所だ。
しかしながら、駐車場も完備されて、天上の楽園的な山にも車で登れるご時世。
一番上の駐車場に車を停め、極楽散歩と相成った。
とりあえず、隅から隅まで歩き回ってしまった。
すれ違う僧侶の方々も、「ご苦労様です」とか、「こんにちわー」とか妙に「フレンドリーである。
まさかロコンの坊主頭が、効いてるのか?
これこそ俺のふてぶてしさなのかも。(笑
ただ庭の美しさにビックラこいてよ、こんな山の中にと考えたら、動けなくなってしまった・・・。
旧書院での呆けた時間は、素晴らしく贅沢だ。
山を下りつ日蓮さんの墓と草庵跡で、日蓮宗マニアのオッサンの言い争いなどを聞きつつ、空念仏どもめ!
と、ありもしない信仰心を高ぶらせたりしたのでもであった。
身延山には俺のベストプレイスが、数多くあったので、もう一回訪れてみたい場所である。
駐車場で¥500を払い、一路東京を目指す。
その後は本栖湖をかすめつつ、富士山を目の前に見ながら東上した。
途中の「道の駅しもべ」で、ソバを食うも、大盛りが無いらしく、セットで頼んだ。
が、コレが当たりで、「長芋月見かん」がえらく旨かった。
右下のやつね、もう少しワサビは少なめでいい、と思った。
が、こういう創作料理が地域の活性につながるんだ。
そのまま本栖湖のヘアピンコーナーをダンプカーの後ろでアクビしつつ、樹海の真ん中をいつまでも続く紅葉にうんざりしながら通り抜ける。
そのまま河口湖から中央高速に乗って、東京に向かった。
途中の談合坂で10Lだけ給油、スーパーアメリカン(ドック)をコーヒーで流しこむ、これはお約束。w
中央道の追い越し車線を走る走る。
で、そのま首都高に入る。
なんとなく、暗い時間帯のレインボーを見たかったので、首都高にした訳です。
下道だと1国まででたりとか面相だからね。
午後8時のリミットのレンタカーを5時くらいに返して、今回のドライブは終了したのでした。
最後の給油では20L、計30Lで420kmのドライブでありました。
次の日はトレに起きれない程疲れたんだけど、2日で2万は飛んでんだよね・・・。
日本一周までにあと1回くらいはしてもいいかな?という規格外のドライブでした。^^
楽しかったけど疲れたー。
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出発日決定! 2010.4/12
しょうたび!
正太郎の日本一周歩き旅
http://shoutabi.web.fc2.com/index.html
ホノルル完走を目指す友達
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